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蓄積と体験

フロムダスクティルドーンを久しぶりに見た。
見たのは三回目。

初めに見たのは二十歳の学生時代に一人で住んでいる友達の家にもう一人の友達と三人で見た。とても映画好きな友達でプラスチックの衣装ケースにDVDやBlu-rayが三ケース分あったのを覚えている。そんな映画好きな友達から見る前に「どんな映画が好きなん?」と聞かれ僕は当時、直近で見た「最近おもろかったんは、パルプフィクションかなあ」と答えた。考える間もなく友達は「フロムダスクティルドーンは見たことある?」と聞き、僕は「ない」と答え、すぐさま友達は衣装ケースの取手を引き探し始めた。

DVDをPS3にセットし再生する。昔の作品だからか映像がフィルムの荒い感じがワクワクさせる。始まってすぐに急な展開の連続で思わず笑ってしまう。中盤も人物同士のやり取りが自分自身のツボに合い、終始笑っていた。最後の三十分辺りは映画の世界観ごと変わる展開になりB級を突き詰めた作品だった。

その数年後に友達の家に一人で泊まりにいったときにもう一度見させてもらった。あのシーンがくる、あのセリフをいうといった、くるぞくるぞ感があって初めてみたときよりも楽しめた。

そして約十年後、TSUTAYAをふらふらしていると、このタイトルを偶然見つけてしまい、懐かしくて久しぶり見ようと手に取りセルフレジへ向かった。そういえばあのときも夏だったな。

映画の舞台も夏っぽい感じだ。話は逸れるが汗がめちゃくちゃ流れてる映画は良い。いつだったかトップガンを見たとき、霧吹きでかけたんじゃないかってくらいみな汗かきすぎだろと思ったのが懐かしい。

あれはやりすぎだと思ったが、映画では視覚、聴覚を使い摂取する。

夏の匂いは映画から感じられないし、砂埃が当たる感覚もない。チーズバーガーの味や中身も分からない。

感じられたとしてもそれは過去の蓄積であり体験ではない。過去の匂いや感覚、一番身近なチーズバーガーでしかない。けれども過去の蓄積では得られないものもある。それは誰とどこで見るかだ。

体育館に集められ体育座りで見たとき、ようやくデートに誘うのに成功しみたとき、一人で豪雨の中小さいタブレットで見たとき。

それぞれの環境で変わってくる。つまり過去の蓄積が今の体験へと繋がっていくのだ。

僕は三十代、まだまだ蓄積によって同じ映画でも変化させることができる。

できればいろんな人と同じ映画を見て共有したいが、僕のコミュニティには限界がある。今はまだぬくぬくと一人で育んでいくのだろう。

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