僕の証明。
我思う、故に我あり。
この言葉は誰もが1度は聞いたことだろう。
デカルトの思想。
自分は何者か?そう疑問を持っている自分が確かにそこに存在している。
的な考えだ。僕はこの考えに1つ、疑問を抱く。
自分は何者かと問うている自分…それは果たして本当の自分と言えるのだろうか。ということだ。
確かにそこに存在はしている。けれどその自分が本当の自分とは誰も言ってないだろう。
屁理屈にしか聞こえないだろうが哲学とはそんなものだろう。
僕の中には何人かの僕が存在する。
そのどれもが僕は本当の僕であると主張をし始める。そうして本当の僕を決める会議になる。
それでも僕はその中に本当の僕はいないと思う。
では本当の僕はどこにいるのか。僕はそれが知りたい。自分が居ることは理解しているんだ。本当の自分。ジョハリの窓の「未知の窓」の隅、本当の自分。それが未だに出会うことが出来ない。
僕の本当の自分は何処へ行ってしまったのか、
出会う為にはどうしたらいいのか。
妹の代わりとして生きている僕には、一生分かることは無いのだろう。
死ぬ瞬間。
その時初めて僕は本当の自分になるのだろう。
今日も憂鬱を抱えて不安に嘘をつき、希死念慮と共に妹の命の延長を生きる僕は、自分が何者かを考え、悩み、そしてわからないままでいる。
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