内憂外患

内にも外にも憂うばかり。

内憂外患

内にも外にも憂うばかり。

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自己紹介でも。

どうも。こんにちは。そして初めまして。 今回は自分の自己紹介、していこうと思います。 名前は内憂外患と言います。 四字熟語をそのまま名前にしました。 内にも外にも心配事が絶えない様という意味です。 僕の事について少しだけ。 僕は2003年生まれ、今は18歳です。 高校はあまり頭の良い所ではありませんでしたが 一応首席卒業しました。 趣味は読書、音楽鑑賞、文章を書くこと、写真。 人様に見せられる様な凄い物がかけるわけでは無いけれど、自分の中で好きな事ではあり

    • 病院で働いていて思う事

      お久しぶりです。内憂外患です 気づけば最初にノートを書いてから2年が経過していました。殆どサボってばかりでしたが。 こんな僕でも有難いことに就職出来まして、 病院で医療従事者として働いて2年弱。 最近になって考えたことを書いていこうかと思い、またこうして筆を取ったわけです。 人生のシステム化 病院。その中でも僕が務めている部署は所謂療養病棟。終末期の患者様を受け入れ、維持療法を、行う病棟です。他の急性期はや回復期とは違い、『看取り病棟』と呼ばれることもあります。

      • 自分の敵は自分

        自分の敵は自分だ 全くその通りだと思う。 自分がどれだけアプデしても 自分がどれだけ型落ちしても その善し悪しの基準は自分である。 しかも皆自分を判断する時には高く見積る 所謂「理想」と呼ばれるやつだ。 今回は理想と現実なんて 皆が1番嫌いなものに着いてのお話です。 リアリティ・ギャップ 「リアリティ・ギャップ」 この言葉を見聞きしたことがあるだろうか 社会人の皆様は新入社員の頃に よく言われたのではないかと思います リアリティ・ギャップとは、 簡単に言えば 自分の

        • 僕の証明。

          我思う、故に我あり。 この言葉は誰もが1度は聞いたことだろう。 デカルトの思想。 自分は何者か?そう疑問を持っている自分が確かにそこに存在している。 的な考えだ。僕はこの考えに1つ、疑問を抱く。 自分は何者かと問うている自分…それは果たして本当の自分と言えるのだろうか。ということだ。 確かにそこに存在はしている。けれどその自分が本当の自分とは誰も言ってないだろう。 屁理屈にしか聞こえないだろうが哲学とはそんなものだろう。 僕の中には何人かの僕が存在する。 そのど

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        自己紹介でも。

          死にたい

          死にたい。しにたい。よりも消えたい。自分の存在ごとなかったことにしたい。そんな想いが頭を埋めつくしている。頭の中では僕を非難し蔑み誹謗する声が響いてる。どうしたらいい。 この声から逃げるには。死ぬ以外無いのか。 そう思うとパニックになってしまってもう駄目だ。呼吸は荒く心臓の音は速く大きくなってく。 落ち着こうと深く呼吸をしようとしても思う様に吸えず、思う様に吐けない。過呼吸にはなりたくない。そんな僕の想いと反対に体は浅い呼吸を繰り返す。自分一人で呼吸の管理もできない。誰かに助

          死にたい

          自分と出会うこと

          こんにちは。内憂外患です。 今回は題名の「自分との出会い」について。 自分と出会う…一体どういうことなのか、 (あくまで僕の場合です) 僕は今僕として今を生きています。 明日になれば今の僕は明日の僕と出会い、 僕の主導権を明日の僕に渡します。 明日の僕は主導権を受け取り僕として生きていく。 それが毎日繰り返されているイメージです。 ところが最近は少し変わったようで。 一日のうちに出会う僕が多すぎることです。 しかもそのほとんどがネガティブな思考を 促進させるような僕である

          自分と出会うこと

          死にたい気持ちの行先

          内憂外患です。こんにちは。 皆さん死にたいと思って生きていますか? 急にこんなことを聞くのはおかしな事でしょうね 僕は毎日死にたいと生きたいがせめぎ合っている、そのちょうど真ん中に漂って生きています。 死にたい気持ちというものは時間が経てば育ってしまってどうにも出来なくなるものです。 僕だって何も自我が芽生えた瞬間から死にたいと思っていた訳では無いのですから。数年、十数年掛けて育った希死念慮。どこへどのようにして逃がせば良いのか。 希死念慮。どのようなもの

          死にたい気持ちの行先

          自傷の話。

          こんにちは。内憂外患です。 突然ですが皆さん、 自傷行為と言うものをご存知でしょうか? 読んで字のごとく、自ら自分を傷つける行為です あまり良いとされる行為では無いかもしれません。 それでも僕は自傷行為を肯定します。 (あくまで個人の意見です。自傷を助長するものではありませんことをご了承ください。) 皆さん、ストレスを抱えること。ありますよね どうしようもなくイライラした、理不尽な事を言われてなんで自分が、と思う事が沢山あります。 そんな時、そのストレスをどのようにして解

          自傷の話。

          「押し付け」

          こんばんは。内憂外患です。 しばらく投稿が出来ていませんでした。 今日は題名にある通り「押し付け」について。 押し付け。 良くないとは思いつつも誰しもが1度はしたことがあるんじゃないか、と思います。 押し付けにも色々な種類がありますね。 学生の頃。「君もきっとそうでしょ」と 相手に同意を求めたことはありませんか? 自分はこう思う。それが正しいと思っている人は沢山いる。だからきっとこの人もそう思ってる。だから同意するのは当然のことだ。 そんな考え方が根本にある為に人は知

          「押し付け」

          命の価値観

          こんにちは。内憂外患です。 随分とまぁ、また時間が空いてしまいました。 突然ですが、皆さん。 自殺ってどう思いますか? 自殺、自分で自分の命を絶つこと。 こう定義されていますが、どうでしょうか? 自殺をどう思いますか?と聞けば 悪いことだ、悲しいことだ。 そんな意見が多いのではないかと思います。 しかしそれは生きている側の人の心内。 今、まさに今死にたいと思っている人は? 自殺は悪いこと。悲しいこと。そう言いますか? 人は誰もが悪いこと、悲しいこと、

          命の価値観

          もっと先を

          こんにちは。 内憂外患です。 さて、最近少しずつ暖かくなってきました。 春は出会いと別れの季節と言います。 僕自身も沢山の人や物と別れ、 新しい人や物に出会いました。 出会いと別れ。皆さんはどちらが悲しいですか? 大体の人は別れるのが悲しいですよね。 実際僕もそうです。 別れてしまった物を取り返したり、 もう一度出会うのは難しいです。 だから別れは悲しいのかな、なんて。 思ったりもしますよね。 だけど別れがないと新しい事はやってこない。 別れの上に

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          自分と対話する

          こんにちは、内憂外患です。 投稿が遅くなってしまいました。 というのも、僕も仕事が始まり、 なかなか投稿の時間が無かったので、 今回のお話ですが、見出しの通りです。 自分と対話する。 自分との対話、中々難しいものです。 他人との情報のキャッチボール、 いわゆるコミュニケーションですが 自分とコミュニケーションを取る。 それが意外と大切なことだとか。 ジョハリの窓、というものをご存知ですか? 「自分」と言う括りの中には4つの分類があり、 「自分の知

          自分と対話する

          僕の時間

          おはようございます。内憂外患です。 突然ですが、皆さんの趣味はなんですか? キャンプ、ドライブ…釣り…アロマテラピー… 最近は趣味の幅が広がって色々な事に挑戦する、 そんな人が増えたように思います。 僕の趣味は 読書、音楽を聴くこと、文章を書くこと。 あまり特別な趣味ではないですね。 本も音楽も、 誰かの感性の中を冒険して、 自分の内面を成長させられる。 素晴らしいものだと僕は思います。 その世界を作り出した人の考え方、感性、 その人の世界観に溺れら

          僕の時間

          幸せ

          幸せ。 多くの人は幸せでないよりは幸せになりたい。 だけど幸せってなんなんだろう。 幸せの基準はどう測る? 数字には出来ない、推し量れない何か。 人によって違う幸せのかたち。 無形なものかもしれないし、 目に見えて形ある物かもしれない。 幸せってなんだろう。 「幸せ」と「極限状態の嬉しい」は よく似ているんじゃないかと思います。 このふたつの違いは「期間」では無いか、 後者の場合、 一定時間が過ぎると嬉しい感情は減少します。 前者の場合、 長

          自分を認める事。

          こんにちは。お久しぶりです。 内憂外患です。 今回の記事は見出しの通り、 自分を認める事について 自分を認める。所謂自己肯定と言うやつです。 皆さんは自己肯定する事がありますか? 一日の内、数分間でも 「この自分良いじゃん」と思う瞬間。 「自分好きだな」と思える瞬間。 そんな時間がありますか? 僕自身、あまり自分を認める時間が無く、 いつもマイナスな思考になってしまいます。 自分の言動を認める事はとても難しいと思います。 あくまで僕の場合ですが、

          自分を認める事。

          不意に自分の足元が不確かに思えてしまって その場から逃げる事も出来ずに、じっとしている事も怖くなって、涙が出てしまう。僕が僕であるという確信が持てなくて、僕は一体何者なんだろうなんて、訳の分からない問いを自分の中で繰り返す。そんな日々もいつかはきっと、。

          不意に自分の足元が不確かに思えてしまって その場から逃げる事も出来ずに、じっとしている事も怖くなって、涙が出てしまう。僕が僕であるという確信が持てなくて、僕は一体何者なんだろうなんて、訳の分からない問いを自分の中で繰り返す。そんな日々もいつかはきっと、。