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【読書の秋2022】『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』感想

世界遺産検定の勉強の合間に友人から勧められまして、今回紹介する本は『羊飼いの暮らし——イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス:著、濱野大道:訳)である。

湖水地方といえば何といってもピーターラビット!と思っていたが、最近世界遺産検定の勉強をしているので、ロマン主義の出現やピクチャレスク運動などのキーワードがあるな・・・なんてなことを思いながら、読み進めていると、その通り、本文内には以下のような記載がある。

当初から訪問者が虜になったのは、心が洗われるような幻想的で理想的な風景だった。

『羊飼いの暮らし——イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス:著、濱野大道:訳)

ただ筆者はこうした「部外者」の見方の存在を認めるも、以下のように批評する。

けれど、この地に大昔から住みつづけ、同じ仕事を続けてきた住民にとって、それは夢の場所ではなかった。

『羊飼いの暮らし——イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス:著、濱野大道:訳)

本文をどんどん読み進めていくと、美しい湖水地方の風景をつくりだしてきた地域の住民の素朴でありながらも豪快な生活が描かれている。

フェルの羊の毛刈り、雌の羊の出産の立ち合い、雨が続く夏に必死に刈った草を乾かす姿・・・四季折々の描写に合わせて見えてくるのは、生き生きと必死に日々の生活を「積み上げている」羊飼いの生き方であった。

そんな生活をしている人から見て、「レジャー」と称し娯楽として湖水地方を訪れる人たちがよほど奇妙に見えたのだろう。

一度、観光客か誰かが車を停め、写真を撮ろうとしたことがあった。すると祖父はくるりと向きを変えて立ち去り、「消え失せろ」と小声で言った。

『羊飼いの暮らし——イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス:著、濱野大道:訳)

地域住民と観光客の関係性は、世界遺産検定マイスターでの出題された永遠の課題である。

地域の発展の起爆剤として使われる「世界遺産」周辺に観光客が集まり、地域住民の生活の質が低下するという事例は日本だけでなく、世界中に数多く存在する。

たとえば、島根県にある「石見銀山遺跡とその文化的景観」を例に挙げると、世界遺産に登録された2008年には年間80万人以上の観光客が、住民400人ぐらいの地区に詰め掛けていたようである。
こうして急激に増加した「オーバーツーリズム」は様々な問題を引き起こす。大型観光バスが何台も細い生活道路をふさぎ、のどかで落ち着いたその地域固有の雰囲気を変えてしまった。また観光客が出すごみのポイ捨てで景観を損ねている状況が起きていたようだ。
最近は地域住民を中心に「石見銀山ガイドの会」を立ち上げて、ゴミ拾いや観光客向けの地域ガイドを行うほか、パークアンドライド方式を導入し、地域住民の居住エリアには徒歩若しくは自転車で世界遺産の構成資産である龍源寺間歩などへアクセスするようになり、このような問題の解決に向けて動き出している。

この本やオーバーツーリズムの背景にあるのは、それぞれの地域に対する理解不足があると考える。同じ地域・土地であっても、背景や立場の違いにより、捉え方や見方が多様であるという他者の視点が抜け落ちていないかという指摘である。

(知識労働を主に行う)都市と(肉体労働を主に行う)地方という対立する関係の中で、都会に暮らす人が地方っていいな・・・という憧れがあるのは様々なメディアでよく語られるものだ。自然とともに暮らす、都会のあのせかせかとした暮らしにはうんざりという考えから湧いてくる考え方なのかもしれない。ただ地方には地方で人々の(その中に含まれる苦悩・辛苦を含み持つ)日常があることを忘れてはならないと思う。

世界遺産を学んできた私は、いままで世界を知る、さまざまな地域を知ることができれば、多様性やその背景をおのずからわかるのだろうと思っていた。
ただこの本と出合うことで、自分にとっての「非日常」と思っている環境には、必ず人々(広く見ると野生動物も含めた)の「日常」が存在しているのだと気づかされた。

真の多様性とは単に広い視野で「知る」ことではなく、自分と相手の立場の違いを理解し、その相手側の目線から「捉えよう」とすることなのだと実感させられた一冊だった。

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