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改訂『キリスト教か仏教か』

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【書評】中村元監修,西村公朝挿画,釈悟震訳注、改訂『キリスト教か仏教か』

本書は一八七三年八月、大英帝国の植民地支配下にあったスリランカ(英領セイロン)で、仏教とキリスト教の間で行われた、いわゆる「パーナドゥラ論戦」の全記録である。韓国出身の釈悟震師の手で一九九五年に訳出され大きな反響を呼んだが、このたび改訂版が出版された。

当時のスリランカ仏教を代表する論客であったグナーナンダ長老と、キリスト教宣教師(メソジスト派)二人との公開論戦は、二大宗教の優劣を決するための真剣勝負だった。そのため前もって双方が論戦のルールを十カ条にわたって定め、同意書も交わされた。

初日から攻勢に出たグナーナンダは、シンハラ語訳「旧約聖書」において、有名な「妬む神(Jealous God)」という言葉が「輝く神(jwalita Deviyo)」と意図的に誤訳されている事実を告発する。キリスト教徒は自らの教義を隠してまで改宗を進めたいのか? という批判に、宣教師は言葉を濁すしかなかった。グナーナンダは続けて、旧約聖書とスリランカの土着信仰を比較し、いわゆる「創造主」は、生贄を求め人間の血を好む点で悪霊の類と同類ではないかと刺激的な問いを投げかける。キリスト教側は二日目に地理学を援用した「須弥山説」批判で一矢を報いるが、ここでもグナーナンダは、当時の科学者の異説を巧みに引用することで五分以上に巻き返してしまう。他にもいくつかの論点が出たが、論戦は誰が見ても、グナーナンダの圧勝に終わった。このパーナドゥラでの勝利が、欧米や日本をも巻き込んだ仏教復興運動の基点となったことは中村元博士の「監修のことば」に詳しい。

ちなみに論戦の冒頭、キリスト教側は仏教を「死後の霊魂を認めない虚無主義」と攻撃して、グナーナンダからこっぴどい逆襲を食らっている。この種の仏教批判は、不干斎ハビアン(戦国から江戸初期のキリシタン論客)の『妙貞問答』にも見出せる古典的なものだ。グナーナンダの反論は、「無我ゆえに輪廻が成り立つ」というロジックで首尾一貫していた。一方、儒教の世俗主義との論戦や妥協を経て「輪廻」を棚上げする傾向にあった東アジアの大乗仏教は、キリシタンもといキリスト教の批判に対して、どれだけ説得力のある反論をなし得ただろうか。

十九世紀後半、東西の世界宗教が四つに組んだ論戦の記録を紐解くことは、歴史的瞬間を追体験するのみならず、現代日本人の仏教理解をいま一度、基本から洗いなおすためのよい勉強になると思う。(佐藤哲朗

(初出:週刊仏教タイムス2009年6月25日号)

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