自然農

13歳の時東日本大震災で住んでた家を失うまで、自然農と言われる農法で田畑を作りながら自給自足を目指す家で暮らしていました。全国各地から自然農や自給自足の暮らしを学びたいと言う方を研修生として受け入れてた時期もありました。

自然農

無肥料、無農薬

不耕起栽培

近頃ではそこまでマイナーな言葉ではないのかもしれません。自然農法と呼ぶ農法がありますが、自然農とはまた違う意味を持つ言葉です。

母と父が始めた自然農は川口由一の教えを習っています。

自然農の基本   
1.無化学肥料、無農薬
2.畑を耕さない
3.草や虫を敵としない

畑の草は刈り倒し野菜の根元に添えます。
草があることで虫の住処となります。害虫がいても、益虫がいれば問題もほとんどありません。
「自然農法」ではなく「自然農」と呼んでいるわけは、「農」というのは生き方そのものを表す言葉です。
「農法」は野菜の作り方やその手順を示す言葉という違いがあります。

突発的ですが、自然農がこの社会で重要だと思うんです。
畑にある命全て、大きく言えばこの地球にある命全てに意味があるから、互いを生かす世界が成り立つと考える自然農。

ハンディキャップを持つ、立場の弱い人は生きづらい社会です。沖縄の米軍基地の問題、原発の問題、雇用の問題。どの問題をとってもワクワクすることなんてないですよね。

ましてや、自然に優しい社会なんて存在していません。何を言っているのかと怪訝そうにこの手紙を読んでいる方もいると思います。

だけれど、人間が人間らしく生きるというのは、会社に勤めて生きれるだけの給料をもらい、家庭を持ち、ローンを組んで一軒家を建てるなんてことではないはずです。

この世には人間しか生きていないかのように、人間の勝手が目に付きます。

わたしは自然農の家に生まれ育って、畑に多種類の虫、野菜、草があるのを当たり前に見てきました。こんな風に生き生きと生命溢れる社会なら楽しいのにと、20歳を過ぎた今でも本気で夢みるんです。

小さい頃の遊びは山を駆け回ったり、畑にある草花を摘んだりすることでした。

足を地につけて、自然と共に生きていく決意をしたのは東日本大震災から2年が経った15歳の時でした。21の今やっとそのために歩き出せたところです。

スマートフォンはまだ手放しません。
面と向かわなくても意思を伝える手段があるのに、使わない手はないからです。

わたしがこの生き方を提示することで、誰かが、もしくは社会が変わるなんて思っていないし、そのためにこの道を選んだのではないと言うことははっきり伝えておきます。

あなたはこれから、自然を犠牲にして存在する社会で生きていくのでしょう。けれどあなたが死んで空からこの地球を見たとき、生きている子供たちに、地球に生きている生命たちに胸を張れるかどうか、問い続けて欲しいと思います。


この地球が青く輝いたままであるかどうか、想像力豊かに思い描いて欲しいと思います。

わたしは自然の一部だと言う事。

自然農という生き方を通してわたしがたどり着いたわたしの生き方。あなたがこの地球という大いなる自然の中でどのような生き方を望むのか、各々が行動と共に示すことができますように。


2019.6.1    春寒菜花

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