見出し画像

あなたにとって依存症とは

こんにちは、心理士のなべたです。

この記事では、依存症とはどういうものなのか、そして、依存している行動をどうしたいのか、どうしてその行動をやめたいのかを考えてみます。


そもそも依存症ってなんだろう

依存症とは例えるなら「脳がハイジャックされた状態」です。
パイロットは自分でハンドルを握っていますが、何者かが後ろから「あっちに飛べ!」「そっちじゃない!」と声が聞こえてきて、その声の言うとおりにしないとハンドルをその声の主に握られてしまうのです。その何者かは想像以上に強くて、抵抗しても振り払うことができません。

依存症の人は「やめられないなんて自分はダメな人間だ」とか「意志が弱いからやめられないんだ」と考えて落ち込んでしまいます。
しかし、依存症は意志や性格の問題ではありません。自分の脳なのに自分の意志ではどうにもならず、何者かにコントロールされている、これが依存症の状態です。

依存していた行動をどうしたいか

依存している行動を完全にやめたいと考えている人が多いなか、自分の行動をコントロールしたいと願う人も多いでしょう。完全にやめるほうが生活への害は少なくなりますが、それぞれの立場が尊重されるべきです。

その行動をやめることは「手段」であって「目的」ではありません。やめることによってどんな人生にしたいか、それが本来の目的です。
やめることそのものを目的としてしまうと、どんな人生を歩んでいきたいかが置き去りになってしまって、結果としてやめ続けることが難しくなってしまいます。

手段の目的化

これはボール回しばかりするサッカーみたいなものです。
サッカーの目的はゴールを決めることですよね。そのための手段として味方同士でボールを繋ぐことがあります。しかし、ボール回しそのものが目的となってしまったらどうなるでしょうか。
キックオフからゴールを目指さずにずっとボール回しをしていたら勝つこともできずに喜びも得られません。いずれ負けてしまうでしょう。

このように「手段」であるべきものが「目的」となると望んでいた結果が得られません。依存していた行動をやめることでどうなりたいか、目的を明確にしておくことが大切なのです。

依存していた行動に対する想い残し

”ああしておけばよかった”と後悔することは誰にでもある感情です。これは依存症を抱える人だけでなく、多くの人が経験することです。問題はその感情に囚われてしまい、依存していた行動を再びやってしまうことです。

未練に囚われないかどうかは”未練があるのは良くない!”と未練と闘ってしまうか、心のなかに未練を置いておくスペースを作り、受け入れているかの違いにあります。

依存症から回復して「未練はない」と感じる人は上手にスペースを確保し、平和に未練と同居できているのだと思います。想い残しや未練を受け入れ、覚悟を決めて前に進むとも言えます。

覚悟を決める

あなたは登山好きだとします。ある日、登ったことのない山に行くことに決めました。到着すると、山は沼に囲まれていることがわかりました。その山に登るためには沼を渡っていくしかありません。

あなたは渡ることを選び、沼を進んでいくのです。沼でじたばたしているだけでは満足できません。あなたにとって大切なのはその向こうの山に登ることです。だから、そのために沼を渡っていくのです。

このように未練があっても、その状況に立ち止まらずに、大切なものに向かって歩みを進めることが大切なのです。


この記事が気に入ったら、スキ、フォローお願いします。

この記事が参加している募集

QOLあげてみた

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。 この記事が少しでもあなたの役に立てたのなら、ぜひサポートしてください!