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【読書コラム】炎上させようと思えば、なんでも炎上させられる - 『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』片岡大右(著)

 Xを眺めていたら、興味深い本が紹介されていた。タイトルを見ただけでこれは読まなきゃいけないと思った。もちろん、すぐに購入した。

 国内外で賛否両論の声が吹き荒れる中、強引に決行された東京オリンピック2020。その後、逮捕者が出たり、新たな不正が次々発覚しているにもかかわらず、総括がなされないまま組織委員は解体。現在に至っている。

 一応、同時代を生きた人間として、あれはなんだったのだろうと考え続けてはいる。なので、小山田圭吾辞任事件の背景になにがあったのか、新書一冊が成立するほど調査した本があるというのは意外だったし、同時に、凄いと思った。

 あれから数年経っているし、念のため、ざっくりと事件の概要をまとめよう。

 東京オリンピック開会式の音楽担当だった小山田圭吾は、過去、音楽雑誌のインタビューで自ら障がい者をいじめていたと武勇伝のように語っていた。その記事がネット上で拡散し、炎上。世界的な批判を浴びた結果、音楽担当の辞任を発表。

 当時、このニュースを見ながら、わたしは複雑な思いを抱いた。

 もともとフリッパーズ・ギターが好きで、小沢健二派だけど、小山田圭吾のことも追ってきた。コーネリアスの作品に感動し、NHK教育で放送されていた『デザインあ』のファンでもあったので、その辞任は非常に残念だった。

 一方、子どもの頃からネットカルチャーに触れ、2ちゃんねるの「ウンコ食わせてバックドロップ」コピペを散々見てきた者としては、いまさら問題になるんだと呆れるぐらい、辞任は妥当な流れのようにも感じた。

 加えて、一度だけ小山田圭吾さんとお会いしたこともある。そのときの印象はあまりよくなかったけれど、90年代サブカルマニアな自分の中では忘れ難い一瞬であり、そんな人が世界中から叩かれまくっている光景はシンプルに辛かった。

 ところが、今回、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』を読み、ようやく諸々腑に落ちた。

 もし、いまも小山田圭吾に対して怒りを覚えている人がいるとしたら、ぜひとも手に取って頂きたい。恐らく、誤解が解けるはずである。小山田圭吾を肯定はできなくても、若い頃にセルフプロデュースを失敗しちゃったんだなぁと見方がガラリと変わってくる。

 しかし、どうして若い頃に失敗したセルフプロデュースの負債が何十年も経過した後、どでかい事件となって現れたのか。この本の肝はここにある。

 結論から言うと、すべては情報ロンダリングの怖さに帰結する。どんな嘘でも、いくつかのメディアを経由すれば、真実へと姿を変えることができると言うのだ。

 例えば、2ちゃんねるの書き込みは普通、誰が書いているかわからないため、ニュースのソースになることはない。もし、大手メディアがそんな記事を書いたら、長い年月をかけて積み重ねてきた信頼が崩れてもおかしくないだろう。

 小山田圭吾のいじめ問題が2ちゃんねるではコピペを通して有名だったにもかかわらず、一般社会で語られることがなかったのは、要するにそういうことなのだ。

 ところが、同じ匿名でも、なぜか信頼できる情報源として認知されているサイトがある。はてなブログである。政治に関する議論が交わされる場として機能し、はてなブログ出身のコメンテーターやコラムニストが生まれたこともあり、2ちゃんねるよりも信頼されている。特に、はてな匿名ダイアリーに投稿された『保育園落ちた日本死ね!』は国会でも取り上げられるなど、社会問題と化すほどだった。

 そのため、小山田圭吾のいじめ問題のついて、X(当時はTwitter)で声を上げた著名人も2ちゃんねるのコピペではなく、はてなブログの記事を引用する形で情報発信を行なっていた。そのブログは2ちゃんねるのコピペを紹介しているだけなのに。

 こうなると情報ロンダリングは容易に進む。通常、はてなブログであっても、さすがに、大手メディアはソースとして使うわけにはいかない。しかし、SNSで話題という現象を伝える形なら、なぜか記事にすることができるのだ。

 実は、小山田圭吾問題について、大手メディアはネット上で炎上していると報じただけだった。だが、記事の中ではSNSに飛び交う賛否両論の投稿が引用されるので、まるで小山田圭吾が本当に非道な行いをしたかのように見えていた。

 そして、海外メディアも、日本の大手メディアで話題という形でこのことを報じ、気づけば、小山田圭吾は世界的な批判にさらされていたわけである。

 これはゾッとするような話だ。なにせ、誰も取材をしていないのだから。

 何十年も前に、誰かが雑誌にこう書いてあったと2ちゃんねるに書き込んだ。それを読んだ人がブログにまとめ、SNSで拡散された。そういう現象を記事にするだけなら、まさにコタツに入ったままでも書けるじゃないか!

 小山田圭吾が東京オリンピック開会式の音楽担当にふさわしかったか否かはわからない。でも、同じぐらい、小山田圭吾が障がい者に暴力を振るっていたのかもわからない。だって、誰も調査していないんだもん。

 以前、スポーツ新聞で働く記者と話す機会があった。彼はジャーナリスト志望だったとかで、芸能担当になっても、できるだけ現場に足を運ぶことを心がけているという。ところが、最近、デスクから取材に行くなと怒られるそうだ。

「交通費と時間を使ってもアクセス数は増えねえだろって言われんです。だったら、ネット上で話題になっていることをまとめた方が効率いいだろって。僕は三流新聞の三流記者です。でも、取材もせずに記事を世の中に出さなきゃいけないなんて堪え難いです!」

 ただ、そんな彼の抵抗も虚しく、いまでは在宅でYouTuberの動画を巡回し、過激な発言を切り抜き、Yahoo!ニュースに掲載する仕事に従事しているんだとか。

 たしかに、情報の真偽を確かめるのは面倒くさい。調べた挙句に間違いでしたじゃ、それまでの努力は無駄になる。でも、バズりや炎上など、いまや誰もが情報の力で人生が一変する世の中なのだ。やっぱり、そこに手間を惜しんじゃいけない気はする。

 だいたい、この記事にしたってそうだろう。長々書いてはきたけれど、本当に『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』の内容に準じているか、誰にもわからないのだから。

 やっぱり、本はちゃんと自分で読まなくちゃね!




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