【ペライチ小説】_『娘帰る』_16枚目
「まあ、仕方ないな」
父親はそうつぶやくと、空になった徳利を逆さに何度か振って、茶髪の女性店員を呼んだ。
「これ、もう一本」
「はい。よろこんで」
気づけば、店内は再びガヤガヤと活気を取り戻していた。
「それで、仕事はどうなんだ」
さやごと枝豆にかじりつきながら、父親は実に父親らしい口調で、父親らしい質問を当たり前のように聞いてきた。あまりにそれっぽ過ぎたので、つい、こちらもそれっぽく返してしまった。
「うーん。一応、楽しいは楽しいかな。どうしても自由な時間が減っちゃうから、学生の頃みたく気軽に友だちと遊べないのは残念だけどね」
「やっぱ大学っていうのは自由に遊べる場所だったのか」
「まあ、多少はね」
「マジかー。だったら俺も行っておけばよかったなあ」
「それはどうだろう。レポート書いたり、論文書いたり、面倒なこともいろいろあるよ」
「うひゃー。じゃあ、やっぱり行かなくて正解だったわ」
追加の徳利が運ばれてきた。父親はそれを右手で受け取り、テーブルの上に置かれたわたしのお猪口にたっぷり注ぎ、自分の方にも並々足して、随分、ご機嫌な様子で、
「まったく、あんな小さかったお前がこうやって酒を飲めるようになってるんだから、時間っていうのはしっかり流れているんだなあ」
と、しみじみつぶやいた。
「わたしも一応、二十五だもん」
「ひゃー。そりゃ、俺も五十になるわけだ」
「おじいちゃんはいくつなの」
「ちょうど八十。ほとんど病院にも行かず、ずっと健康って感じだったのにな。あっという間に痩せちゃって、いまじゃ、さっき見た通りの有り様よ」
父親は手持ち無沙汰な指先で食べ終わった串を適当に弄んでいた。木の繊維にこびりつき、取れないまま残った正肉のカスがしっとり父親の手を汚していった。みっともないなぁ、とわたしはずっと観察していた。でも、父親はそんなことにも気づかぬまま、
「最近、おじいちゃんを見舞っているうちに、段々、寂しくなってきちゃってさぁ」
と、突然、センチメンタルな口調になった。
「なあ、真紀。また、みんなで一緒に暮らさないか。いろいろあったけど、すべて水に流してさ」
「……はあ?」
三十歳になった現在のわたしだったら、半世紀の長さを生き延びてきた人間が実の娘にこんなことをボヤいてしまう深刻さについて、ちゃんと共感してあげられたかもしれない。しかし、当時のわたしはあっという間に心の余裕がキャパオーバー、いまさらなにを言っているんだと脊髄反射で怒りを爆発させてしまった。
とにもかくにも父親を責め立てた。もちろん、周りの目なんて考えないで、過去の借金やら浮気やら、狂想曲を奏でるが如く文句の限りを好き放題に炸裂させた。結果、具体的にどんな言葉を吐いたかさえも覚えていないが、たぶん、破裂音を伴う罵詈雑言をやたらめったら口にしたはずで、しばらくの間、唇の上にこすれたような痛みがじんわり残った。
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