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【映画感想文】虚実の間を行ったり来たり - 『アントニオ猪木を探して』『MEMORIES OF KENJI ENO』

 わたしは世代じゃないので、アントニオ猪木の凄さをリアルタイムで全然知らない。それでも、猪木ボンバイエは歌えるし、「1、2、3、ダー!」で盛り上がれるし、「元気があればなんでもできる」や「迷わず行けよ 行けばわかるさ」などの名言を知ってもいる。一回ぐらい、ビンタで闘魂を注入してもらいたいと思ったこともある。

 一度だけ、その姿を実際にお見かけしたことがある。仕事で参議院議員会館に行ったときのこと。車椅子に乗った猪木さんとすれ違った。とりあえず、頭を下げた。猪木さんも会釈してくれて、それだけでエネルギーをもらった覚えがある。

 不思議な人だなぁと思った。平成生まれのわたしにはピンとこないけれど、きっと、昭和のスターは人々を勇気づける特殊能力を持っていたんだろう。もはや歴史の教科書で学ぶことだけど、力道山の活躍を見るために街頭テレビに群がった人々の興奮が少しだけわかったような気がした。

 そんな猪木さんの実像に迫ろうとするドキュメンタリー映画がAmazonプライムで配信されていた。

 現役スターレスラーであるオカダ・カズチカや棚橋弘至から見たアントニオ猪木。当時を知る仲間である藤波辰爾と藤原喜明から見たアントニオ猪木。熱狂的なファンである有田哲平や安田顕、神田伯山から見たアントニオ猪木。公式カメラマンだった原悦生から見たアントニオ猪木。

 アントニオ猪木の内側ではなく、その外側が各角度からどのように見えていたかを追求していく107分で、とても興味深かった。なにせ、誰の言葉を通しても、アントニオ猪木は虚実の間を行ったり来たりしているばかり。本当のところは何者なのか、さっぱり見えてこないのだから。

 でも、きっと、80年代の日本はそういう時代だったのだろうなんて、その頃には生まれてもいなかったわたしは完全なる後追いで想像してしまう。

 特に、テレビ史を眺めたとき、80年代はよく言えば不思議なもの、悪く言えば胡散臭い内容の番組があふれかえっている。

 お茶の間に知らない世界を届ける役割を果たしていたテレビは、1980年、シルクロードブームで飽和点に達したと言われている。現実の光景で伝えられるものは伝えきってしまったのだ。そのため、それ以上の驚きを作り出す必要に迫られた。

 シルクロードと前後して、『川口浩探検隊』が放送され、人気を博した。UFO番組で矢追純一と大槻教授が激論を交わした。作り込まれたコントのドリフに対し、楽屋落ちを多用する『ひょうきん族』が天下を取った。プロのアイドルより素人の女子大生が重宝され、『オールナイトフジ』では師匠なしの危ない若者・とんねるずがカメラやセットを破壊し、暴れまくった。

 あまりにも刺激的なコンテンツの中で、プロレスというもはや古典的な芸能で戦い続けた男こそ、アントニオ猪木なのだろう。

 猪木は『徹子の部屋』に出演した際、プロレスをスポーツと呼ぶことに抵抗があると語っている。どうやら総合エンターテイメントと捉えていたようで、リングの中だけでなく、外でも激戦を繰り広げていたことが伝わってくる。

 映画の中に、神田伯山が1987年10月4日の巌流島の戦いを講談で語るシーンがある。アントニオ猪木対マサ斎藤。あまりにもめちゃくちゃな内容過ぎて、まさしく、近松門左衛門の虚実皮膜に達している。

 こんなクレイジーな人は他にいないんだろうなぁ。そんなことを思っていたら、YouTubeで飯野賢治のドキュメンタリーがオススメで表示され、いやいや、90年代にもすごい人がいたじゃないかと目が覚めた。

 飯野賢治という天才的なゲームクリエイターがいたことは知っていた。いまでは小島秀夫や名越稔洋など、ゲームの制作者をメディアで目にすることは増えたけれど、当時、飯野賢治みたいにテレビで自分の考えを語る人を見たことがなかった。

 その上、手がけるゲームがどれも実験的で、一度はプレイしたいと思わせるものばかりだからとんでもない。

 例えば、2時間制限付きでセーブ機能なしの『Dの食卓』だったり、見えない敵を音を頼りに倒す『エネミー・ゼロ』だったり、もはや映像が存在しない『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』だったり、常識はずれのゲームばかりだった。

 残念ながら、わたしがその存在を知ったのは中学生になってからで、家にあったハードはNINTENDO64とPlayStation 2だけ。飯野賢治の作品は3DOやドリームキャストのソフトが多く、ほとんどプレイできなかった。

 それでも、唯一、PS版に移植されていた『Dの食卓』だけは入手して、貪るようにプレイした。面白いか、面白くないかはともかくとして、ゲームでこんなことができるんだと大いに感動した。

 そんな飯野賢治について、ドキュメンタリー映画ではやはり周辺の人たちのインタビューを通し、立体的な見え方を再構築していた。

 特にピエール瀧の言葉が印象的だった。

(ピエール瀧)
でかいカンパニーに単身立ち向かうというか
当時、まだ、ゲームという市場は
一人の天才がアイディアを持って作れば
ジャイアントキリングができる時代だったんですよね
そこに関して本当に
デカい組織vs個人というところで
喧嘩を売るってわけではないですけれど
立ち向かっていったというところに関しては
すごく魅力的に映りました

『MEMORIES OF KENJI ENO』

 バブル崩壊後、90年代の日本は組織vs個人という構図が主要なテーマとなった。

 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』ではNERVによって子どもたちが世界を救うために戦わされる矛盾が描かれた。ドラマ『踊る大捜査線』では上の命令で現場の刑事が目の前の人を救えない問題が扱われた。バラエティ『水曜どうでしょう』は低画質かつ有名人ゼロというキー局と真逆の番組を作り、その類まれなるセンスだけで大ヒットを記録した。

 飯野賢治もまた、ゲームの領域で同じことをしていたらしく、常に誰もやっていないことに挑戦し続けていた。結果、どこまで本気なのか、どこまでふざけているのか、客観的には判別不能なところまで行ってしまう。

 アントニオ猪木と飯野賢治。

 プロレスとゲーム。

 それぞれ、専門とした分野は違うけれど、その時代にしかできない楽しいことを限界までやり切った点でとても似ている。

 二人が亡くなった時期は異なっている。なのに、コンセプトの近いドキュメンタリー映画が同時期に制作され、公開されたことは偶然じゃないだろう。

 いま、日本は時代の転換点にある。堅固だと思われていた組織が次から次へと崩壊し始めている。もしかしたら、本当の意味で、ようやく戦後が終わるのかもしれない。

 だとすれば、ぼちぼち、新たな時代の寵児が虚実の間を行ったり来たりするはずだ。もしかしたら、それはあなたかもしれない。

 アントニオ猪木も、飯野賢治も、鋭い視線で斜に構えて、そんな風に語りかけてくる。




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