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【映画感想文】脱北は大変なんだろうと思っていたが、その大変さは想像を超えていた - 『ビヨンド・ユートピア 脱北』監督: マドレーヌ・ギャヴィン

 友だちにすごい映画があると教えてもらった。『ビヨンド・ユートピア 脱北』という脱北に関するドキュメンタリーなんだとか。

 北朝鮮がヤバいというのは知っていた。なにせ、子どもの頃からニュースで散々見てきたから。そのため、脱北についてもこんなものだろうというイメージはあった。

 例えば、ボートで漂流してくるとか、川を渡って中国に逃げるとか。むかしはたまに脱北者が発見されたと報道されていた気がする。

 ただ、脱北の瞬間を捉えた映像を見たことはなかった。

 友だち曰く、この映画は実際に脱北する人たちにカメラを渡し、再現VTRは一切なく、すべてが本当の記録になっているらしく、絶対に見ておかなきゃいけない真実が映し出されているとのことだった。

 そう言われると見るしかなかった。結果、まさにその通り。絶対に見ておかなきゃいけない真実が映し出されていた。

 撮影期間はコロナ前。脱北を支援しているキム牧師の取材から始まる。

 連日、彼のもとにはブローカーから電話が入る。たぶん、中国人なのだろう。国境沿いで脱北者を保護した。金を出したら、脱北に協力してやる。

 脱北はビジネスになっている。ブローカーは脱北者を商品として見ている。若い女性ならアダルトチャットや売春の業者、嫁をまとめている田舎の独身者に売りつける。男だったら肉体労働なのだろう。そして、年寄りや子どもなど商品価値が低い人たちは韓国のキリスト教会に押し付け、手数料をもらおうとする。

 この映画では夫婦と二人の娘、おばあちゃんの五人家族が脱北する様子を追いかけるのだが、キム牧師はなんとか金を工面して、ブローカーの交渉に応じる。その際、家族から送られてきたビデオメッセージはノンフィクションとは思えないほど痛ましい。(以下YouTubeのサムネがそれ)

 わたしは脱北の実情を自分がまったく知らなかったことに衝撃を受けた。とりあえず、北朝鮮から出られればなんとかなるものと思っていた。でも、そんなことは決してなかった。なんなら、逃げた後こそ大変だった。

 いま、中国は北朝鮮と仲がいいため、共産党に脱北者とバレたら強制送還されてしまうという。強制送還されたら死刑か無期懲役になってしまう。そのため、ブローカーの言いなりにならざるを得ない。

 だったら、韓国方面に逃げればいいと思ってしまうが、北緯38度線に沿って、北朝鮮は二百万以上の地雷を埋めているため、突破するのは不可能だ。

 ブローカーの奴隷になりたくて、誰も奴隷になってはいない。他に選択肢がないから、その道を進んでいるだけなのだが、どうして同じ時代に生きる人たちがこんなにも苦労しなくちゃいけないんだと見ていて胸が苦しくなる。

 結局、脱北者が自由を手に入れるためにはタイまで移動する必要がある。中国も、ベトナムも、ラオスも共産圏。北朝鮮と国交があるので、いずれの政府も脱北者を認めていないから。

 小さな子どもとヨロヨロなおばあちゃんを連れて、一家はひたすら南下する。キム牧師が先導し、ブローカーに車の手配などさせるけれど、誰もパスポートを持っていないので密入国の繰り返し。なので、国境を越えるときは歩くしかなく、一晩で十時間以上、真っ暗なジャングルを何度も進み続ける。

 さて、そんなキム牧師は顔を出して取材に応じているけれど、長年の脱北協力によって、北朝鮮当局からはすでにマークされている。中国、ベトナム、ラオスからも入国拒否をされている。来たら、命の保証はないと脅されてもいる。まわりの人間も命懸けなのだ。

 映画では五人家族の脱北と並行して、先に脱北したお母さんが息子を呼ぼうと奮闘する姿も追いかける。ブローカーとのやりとりは電話のみ。詐欺みたいな申し出もあるが、彼女はお金を払ってしまう。本人も詐欺かもしれないと自覚はしている。でも、信じる以外にどうすることもできないと涙を流す。

 彼女の言葉が心に響いた。

「すべては生まれた場所のせい」

 息子に会いたい。母親に会いたい。そんな普通のことをするために、どうしてこれほどの苦労をしなくてはいけないのか。

 だったら、国民が立ち上がり、政権を打倒すればいいのにと言う人もいる。フランス革命に端を発した近代以降の西洋的な国家観に基づけば、そう思うのも当然だ。でも、北朝鮮はそうじゃない。金日成がトップになったからというもの、外からの情報をシャットダウン。独裁を維持するための国家となった。

 本作では北朝鮮の情報統治の理由について、ひとつの仮説を提示していた。金日成を神格化する過程で聖書を参考にし過ぎたせいで、パクりとバレることを恐れ、すべての情報を入れない方針をとったのではないか、と。

 脱北者のインタビューを通して、北朝鮮で教えられている金日成伝説が語られるのだけれど、虹を渡って山から山へ移動したとか、水の上を歩いたとか、飲み物や食べ物を無から生み出したとか、神に祝福されて小屋で生まれたとか、たしかにぜんぶキリストっぽい。

 おそらく、金正日が自分の立場を正当化するため、無理やり作り出した物語だったのだろう。そして、そう思えるだけの情報をわたしは聞いたことがある。

 高校生の頃、横浜で北朝鮮映画祭というイベントがあり、興味本位で参加してみた。脱北した映画関係者のトークショーがあり、彼は金正日が生粋の映画マニアであることを明かしていた。

 なんでも、自宅には巨大なシアタールームがあり、ハリウッド映画はもちろん、日本映画などありとあらゆる映像作品をコレクションしていたんだとか。中でもお気に入りは『男はつらいよ』で、寅さんに相当憧れていたという。

 そんな金正日は現役時代、北朝鮮で製作されるすべての映画で指揮をとったという。だから、ストーリーはシェイクスピア風だったり、超大作風だったり、面白いは面白い。とはいえ、それで革命のムードを高めたらまずいので、必ずラストはアメリカと日本が悪いとオチをつけてきた。

 実際、わたしも北朝鮮映画を三本ほど見たけど、どれも途中までは愛と勇気と冒険にあふれ、ワクワク、ドキドキ楽しかった。しかし、ラスト五分で主人公がそれまでの流れを無視して、「我々が苦しいのは日本人が悪いからだ」と演説をはじめ、登場人物全員で反戦ソングを歌い出す。あまりの急展開に劇場は笑いで包まれた。

 わたしは質疑応答のとき、脱北者の方に思わず尋ねてしまった。北朝鮮の人たちはおかしいと思わないんですか? と。彼は言った。

「おかしいとかおかしくないとか、そういう次元の話ではないんです。これが当たり前なんです。どんな映画でも最後にはエンドクレジットが流れますよね。誰も見ていないのに。それと一緒です」

 なるほどなぁと思った。そして、北朝鮮の観客も映画の感想を語り合うときは、あのシーンがカッコよかったとか、あの女優は可愛かったとか、そんな話しかしないらしい。

 ただ、金正日も体調が悪くなり、映画に関わらなくなってからというもの、北朝鮮映画は少しずつ変わり始めていた。

 特に2007年制作の『ある女学生の日記』という作品はすごかった。戦争の匂いはゼロになり、平壌で暮らす女子高生の日常的な悩みが淡々と描かれていた。渋谷のミニシアターで流れていても不思議ではない雰囲気だった。そして、ファーストショットが衝撃的だった。女子高生が背負ったリュックのアップから始まるのだけれど、なんと、そこにはミッキーマウスのアップリケが!

 この作品を映画館で見たのは十五年以上も前。もしかして、金正日の力が弱まることで北朝鮮は宥和の方向に舵を切るんじゃないかとわたしは期待していた。それこそ、金正男が後継者となれば、なにもかもが変わるんじゃないか、と。

 しかし、実際の歴史はそうならなかった。金正恩がトップになり、異母兄である金正男をクアランルプール空港で暗殺した。その後、政権幹部を次から次へと殺しまくり、金日成の頃よりも、金正日の頃よりも、残酷な恐怖支配を敢行している。

 金正恩は恐れている。革命が起こって殺されることを。2011年、カダフィ大佐が武器を放棄し、国民に殴り殺しにされたニュースを見ているから。そのため、絶対に核開発をやめることはない。国民がどんなに餓死しようとも。

 脱北せざるを得ない人たちは増え続けている。でも、コロナ禍によって、従来の脱北ルートがほとんど使えなくなってしまったそうだ。キム神父はマスクをしながら、救える命が救えなくなってしまったことを嘆いていた。

 鑑賞後、あまりの過酷さにわたしはしばらく席を立てなかった。北朝鮮がヤバいなんて周知の事実ではあるけれど、これほどまでにヤバかったとは。

 わたしにできることがあるのかはわからない。それでも、この映画を見ることで、知らなきゃいけないことを知ることだけはしなきゃいけないと思った。




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