見出し画像

せっせと父へ送る

わたしの父は、本好きのレベルをはるかに超えた「活字中毒」である。

名古屋の老人ホームで、ほとんど寝たきりの母と暮らしているのだが、足腰は弱っているものの、アタマはしっかりしているので、毎日ヒマな時間を持て余している。そのため、相手をしてくれる「活字」の量は膨大だ。

配達してくれる月決めの新聞は3紙。近くのコンビニまでは歩いて行けるので、さらに毎朝スポーツ紙を3紙も買いにいく。合計6紙。加えて、雑誌は週に何冊買っていることか。父のおこづかいは、ほぼそれで無くなる。

そしてわたしも、本屋でないと買えない本やちょっと高いもの(「文藝春秋」「サライ」など)、わが家で読んでもういらない週刊誌は、せっせと送るようにしている。

日々の楽しみは「なにかを読む」ことくらいだし、何より活字を読んでいると幸せな父なので、「あの本がほしい」「あの雑誌を買って送って」と頼まれたら、わたしもできるだけすぐに送ってあげたい。

しかしこの「すぐに」というのが大変だ。

電話を受けてすぐに買いに行ければいいのだが、仕事が忙しいときは1日2日遅れてしまう。宅急便でさらに1日かかるので、「待ってるだろうな」「悪いな」という申し訳なさが募っていく。

父は、めったに催促しない。
昔は、瞬間湯沸かし器のようによく怒鳴る人だったけれど、年をとって穏やかになり、遠慮もあるのか、二言目には「いいよ、いつでもいいよ」と優しい。

なのに「すぐに送らなきゃ」というモードになる。「無言のプレッシャー」を感じてしまう。理由はわかっている。

せっかちで怒りっぽい父が、わたしの思う「父」だからだ。

土曜日に電話が来た本や雑誌を、ようやく送った。
明日には届くけれど、きっと「届いたよ」も「ありがとう」もないだろう。
いつも送ってほしいときだけ電話をかけてくる父だけれど、そのほうが父らしくていい。

優しすぎる父には、やはり馴染めない。

頑固で面倒な父に、せっせと本を送る娘、というわたしでありたい。
いつまでも。できるだけ、いつまでも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?