病気の余命を伝えること
病気の余命を伝えることは難しいです。予測することではなく、患者さんと家族に「伝えること」が難しいのです。
余命について尋ねたときに、医療者によっては「分からない」、「そんなことを考えるのはおかし」などとさまざまです。しかしながら、(本当は)目の前の患者さんの寿命がどれくらいかを漠然と感じているのです。
「1年後は生きてるかな?」
「半年後はどうかな?」
「3か月後は?」
「1か月後は?」
と自問自答していくと、どこかで「無理かも」と直感的に思います。
残念ながら「あなたの寿命は〇〇日です」と正確な余命を言い当てることはできません。しかしながら、幅を持った予後予測は可能です。(予後=余命、と捉えてください)
それでは、実際の医療現場の様子を見てみましょう。
医療者も余命を伝えることに躊躇する
医療者は、‘余命’という情報は、患者さんやその家族が必要としている情報であり、それを知ることで本来したかったことがタイミングを逸さずにできることを知っています。もし、伝えられなかったとき、どこで最期を迎えたいか、どう過ごしたいかなど、最期の時間に関して十分に話し合うことができないことも知っています。それでも、医療者は患者さんに余命を伝えることを躊躇するのです。
それは
「あなたは死ぬのです」と死刑宣告をしているのと同じような気持ちになってしまう
家族族から「どうしてそんなつらいことを言うのですか」と責められた経験をしたことがあった
など、さまざまな思いや経験が余命について話すことを避けさせています。
余命のことはどの程度まで知りたいの?
突然、「こんにちは。あなたの寿命は〇〇です。」という展開はあり得ないでしょう。
理想を言うなら「あなたは自分の余命についてどの程度まで知りたいと思っていますか?」と直接尋ねることでしょう。
医療者によっては、尋ねるタイミングも悩みます。
一般的には、患者さんから「あと、どれくらい生きられるのかな?」と尋ねられたり、医療者と患者さんとのコミュニケーションをしている中で「もしかしたら、どれくらい生きられるのかと思っていませんか?」など医療者が問いかけ、患者さんの気持ちを確認しているときが挙げられます。
難しいのは、患者さんの知りたい情報がどの程度なのか?ということです。患者さんに、「どの程度知りたい?」と聞いても、
「ありとあらゆること、全部知りたい」
「病名と治療内容だけ知りたい」
「余命は知りたくない」
「隠さないで言ってください」
など、さまざまな答えが返ってきます。明確に「〇〇まで教えてください」と答えられる方は少ないです。
教科書的には、「いくつかのパターンがあります。1つ目は、一般的なデータをもとに、あなたと同じ病気の方が、どの程度の生きられるのかをお伝える方法です。2つ目は、あなたの病気で予測される経過をお伝えする方法です。3つ目は、誕生日や季節の節目などまで生きられるか?について話す方法です。あなたに合った方法はありますか?」と事前に患者さんに尋ねることが望ましいそうです。
そうはいっても、都合よく上記のような言葉を話せる場面がないのも事実です。
(話そうと努力していない人もいれば、話す必要性を理解していない人もいれば、話そうと思っても話しにくいなと引っ込み思案な人もいますが…)
臨床現場では、患者さんや家族が話される言葉をもとに、どこまでお伝えすべきかを推し量ります。そうすることで、どの程度の情報を伝えれば、‘今の患者さん’が満たされたかを判断することができます。余命に関わる話は、非常にデリケートな情報であり、また、患者さんや家族にとって鋭いナイフのような情報でもあります。
「もう少し詳しく話を聞きたいですか?」
と患者さんの気持ちを確認しながら話を進めます。
余命を「知りたくない」という患者さん
もちろん、余命を知りたくないという患者さんはいます。(本当は困らなくてもいいのに)医療者は困ってしまいます。
なぜ、患者さんは「知りたくない」というのでしょうか?
「これ以上つらい思いをしたくない」
「悲しい気持ちになりたくない」
「悪くなっているのは一番分かってるしそんなこと他の人から言われたくない」
「家族にだけ伝えてほしい」
など、複雑な感情に追い込まれているのかもしれません。患者さんが「知りたくない」という理由を知ることで、普段、共有できない患者さんの本当のお気持ちを知ることができ、話し合うことができます。
余命を「知りたいけど、知りたくない。」
良く経験するのは、余命を知っておきたいという気持ちと知りたくないという気持ちの相反する気持ちが存在する患者さんがいることです。このような患者さんは医療者にとって困ることがあります。
「この患者さんは、あいまいな反応をとるから分からない」
「前は知りたいと言ってたから話しているのに、話をそらされてしまう」
など、思われているかもしれません。
知りたい・知りたくないという相反する気持ちが存在している様子は、‘感じとる’ ものです。「知りたい」と言っていた話をしているときに、話題を変える、視線を逸らす、話を聞いてなさそうにする、などがあれば、「知りたい。でも、知りたくない」と思っているのだと理解します。
私の場合、そのような患者さんだと感じたときには、
「知りたいという気持ちと、知りたくないという気持ちがありそうですね。知りたいと思う理由、知りたくないと思う理由を聞いてもいいですか?」
と尋ねながら、患者さんのざわざわした心を無視して、独善的に話を進めていくことは避けます。その上で、「余命の話を聞くことは怖いと思います。ただ、早く知っておきたかった、と言われる方も居られます。早く知っていれば、もっとアレコレできたのに…、と言われる方がいるからです。ちょっと、話を聞いてみようかな、と思ったら教えてください。」と伝えるようにしています。
最後に
できる限り、医療者として私自身の気持ちを言語化して、患者さんが直面しているイヤなことを理解していることを伝え、「患者さんのペースで一緒に歩んでいきます」という気持ち示すようにしています。患者さんによって、話してほしい内容、聞きたい内容が異なるのは当然です。患者さんの心配毎にそって話を進めることが求められます。もちろん、余命を伝えることは、患者さんや家族にとってつらい話です。しかし、余命を伝えるその場面で、患者さんや家族と医療者がより深い関係でつながることができるのは事実です。私たち医療者は、傍に一緒に居させてもらえるだけでうれしいのです。
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