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『メカゴジラの逆襲』 機能不全家族と地球侵略 真船親子にみる現代の悲劇



『メカゴジラの逆襲』1975年・東宝

監督本多猪四郎
脚本高山由紀子
佐々木勝彦、藍とも子、平田昭彦、中丸忠雄、睦五郎

★機能不全家族と地球侵略

【映画の概要】(本稿で必要な部分を中心に)

 メカゴジラがゴジラに敗れたのち、海底調査船が海底に沈んだメカゴジラの残骸を回収しようとしていた。その時、突然現れた恐竜に襲われ、調査船は海底の藻屑となってしまう。

 事故調査チームに加わった海洋生物学者の一ノ瀬は、調査船からの最後の通信にあった「恐竜」という言葉から、小笠原の海底に恐竜を発見したと発表したために、学界から追われた真船博士の存在に行き着く。

 真船博士は、海洋開発研究所の研究員で、動物とその生態系を科学でコントロールして、海洋牧場を作るという研究で注目されていた異端の科学者だった。

 真船博士は海洋牧場プランは注目されたが、動物のコントロール技術の開発はなかなか困難であり、思うようには進まなかった。
 真船博士は小笠原に恐竜を発見してチタノザウルスと名付け、これをコントロールしてみせると発表したため狂人扱いされ、学界から追われて、研究所の職も失うことになったのだ。

 一ノ瀬は真船博士を訪ねるが、屋敷には若い女性が一人で住んでいるだけで、博士の姿はなかった。

 この女性は真船桂といい、博士の一人娘で、博士は5年前に他界したのだという。

 研究資料を見たいという一ノ瀬に桂は全てを焼却したという。

 真船家の屋敷の地下は隠されたの研究室になっており、真船博士は死んではおらず、この地下研究室で研究を続けていた。

 真船は津田という謎の男から研究費の出資を受け、チタノザウルスのコントロール装置を完成させて自在にチタノザウルスを制御することに成功していたのである。

 真船はチタノザウルスを使って、自分を葬った社会に対して復讐する目論みを持っていた。

 津田はその復讐計画をより完璧にするために紹介したい人物がいると、博士と桂を天城山にある秘密基地へと誘う。

 そこにはゴジラによって破壊されたメカゴジラを再生したメカゴジラ2号があり、その再建と運用を指揮していたのはムガールという男であった。
 ムガールも津田も、メカゴジラを使って地球侵略を目論むブラックホール第三惑星から来た宇宙人だった。

 彼らの密偵として、桂は一ノ瀬に近づき、その動向を調べるが、桂は一ノ瀬にいつしか惹かれるようになる。

 一ノ瀬と個人的に面会するようになってゆく桂に、自分たちを葬り去った外界の人間たちと、断じて付き合うことは許さないと真船は告げる。

 桂には一ノ瀬にも言えない秘密があった。真船の助手として実験を手伝っていた桂は、その実験中の事故で死亡したのだが、津田ら宇宙人のサイボーグ手術によって一命を与えられたのである。

 桂の体は頭脳以外は機械で出来ているサイボーグとして生きることが出来ていたのである。

 メカゴジラとチタノザウルスで総攻撃をかける計画だった宇宙人の予想に反して、真船はチタノザウルスを独断で日本に上陸させる。

 その野望を阻止せんとゴジラも上陸、チタノザウルスは撃退されてしまう。

 この攻撃の最中に桂は自衛隊員の銃撃を受けて死亡する。

 しかし、またしても宇宙人のサイボーグ手術によって、桂は一命をとりとめる。そして宇宙人は桂の頭脳とメカゴジラの作動装置を直結させて、桂の憎悪を利用して、機械であるメカゴジラの攻撃能力を最大限まで引き出す計画を真船に告げる。

 娘の命を救われた真船は抗うことができず、承知してしまう。

 いよいよ、宇宙人はメカゴジラとチタノザウルスを使って東京攻撃を開始した……

(1)復讐と憎しみ 真船親子の原動力

※ここより、物語の結末も含みます

 メカゴジラ2号は桂の人間としての憎悪という感情によってコントロールされ、凄まじい攻撃力で東京を破壊してゆきます。

 駆けつけたゴジラも手に負えないほどにメカゴジラは無敵を思わせる脅威となって、人類の前に立ち塞がります。

 このメカゴジラのパワーを支えていたのは、制御装置に直結された桂の頭脳と、その思念です。
 その憎悪はどこからきたのでしょうか?
 真船親子を幾多の困難から支えてきたのは「復讐と憎しみ」であると桂は津田に答えています。

 桂は復讐と憎しみという原動力に支えられてきたと述べているのですが、これは、誰に向けてのものでしょうか。

 そこがこの映画の主題を解く鍵になりそうです。

(2)ホロコーストを生んだヒトラーの憎悪

 第二次世界大戦は20世紀最大の戦災であったばかりではなく、ナチスドイツによる未曾有の人権侵害と虐殺という爪痕を残しました。

 特にユダヤ人に対する迫害と殺戮は近代国家にはあるまじき信じかたい災禍でした。
 その、ユダヤ人への憎悪を増幅させたのが、ナチスドイツの指導者であったアドルフ・ヒトラーです。

 ヒトラーの精神病質については戦後、色々な分析によってほぼ、確定されています。
 病名はおそらく「自己愛性パーソナリティー障害」だと言われています。

 このヒトラーのユダヤ人や他の民族に対する憎悪はどこから来たのかについて、心理学者のアリス・ミラーはヒトラーの幼年期から青年期にかけての過程での抑圧ではないかと推察しました。

 ヒトラーは子ども時代に父親のアロイスから虐待を受けていたことから、憎悪を蓄積させたのだとミラーは推測しました。

 しかし、ヒトラー自身は父アロイスの権威に支配されて、直接、抗うことができなかったのです。ヒトラーは有名な著書『わが闘争』のなかで、いかに自分の父親が立派な公務員であったかについて、敬意を持って書いています。
 しかし、その裏腹に1938年のオーストリア併合ののち、ヒトラーは自分の実家や故郷を戦車で全て取り壊して、更地にし、練兵場に作り替えています。

 ミラーはこの行動は、ヒトラーの父、アロイスへの憎悪が生んだ破壊行動と見做しています。

 実家の破壊という行動ののち、ヒトラーがぶつけることが出来ない、父親アロイスへの蓄積した憎悪は他の対象に向かって開放されるのです。

 その対象こそ、彼の歪んだ思想「ナチズム」から虐殺されることになるユダヤ人であり共産主義者だったのです。

 幼年期から青年期にかけて、人間の精神は社会に適用できるような自己形成がされてゆきます。その時期に子どもが過ごす環境は家庭ということになり、関わる対象は親兄弟となります。
 
 この環境下で、個人としての子どもが強い抑圧を受けると、人間は自己のアイデンティティ形成ができなくなります。
 自分が何もであるか、あるいは自分は何のために生きるかは、アイデンティティの形成に関わることですが、これには二つの可能性があります。

 一つは個人としての特質を中心にして、自己同一性が形成されるもの。もう一つは所属する集団の中で、その価値観に合わせて自己同一性が形成されるもの。

 この二つがバランスよく機能すれば問題はありませんが、どちらかに極端に傾いたとなれば、人間として歪みが生じてきます。

(3) 東京大破壊を生む桂の憎悪

 桂は個人として生きることを極度に制限されてきました。父親である真船博士の研究を手伝うことが、桂に課せられた重要な役割であり、外界の人間とは一切遮断されている環境にあって、交流も禁じられています。

 この抑圧の中で、桂は憎悪を蓄積させてゆきます。

 真船博士自身の憎悪は自分を学界や社会から抹殺した、この社会の全ての構成員であり、真船はこれら全てに復讐しようと考えています。

 この憎悪を持つことを、真船は娘に常に強要しています。桂の自我を奪い、権威で支配し、そして、実生活の自由も全て奪ってしまっているのは真船博士です。

 それでも、全て奪われた環境でも、恒常的にそうされている桂の憎悪は、支配の行使者の父親、真船博士へとは向かわないのです。

 桂にとっては、真船博士がやっていることが
正当で間違いがないと、信じ込まされています。自分が苦痛を受けているにも関わらず、父親が正しいのだと「洗脳」されてしまっているのです。

 そこには、権威も知識もあって、尊敬に値する父親が、自分に対しても間違ったことはするはずがないと桂は考えます。一方で、桂は抑圧を受け止めて、それを克服できない自分がおかしいと思うようになり、そのことから憎悪を募らせてゆくのです。

 ムガールの言葉を借りれば
「桂さんの憎しみはそのままメカゴジラの憎しみとなって爆発する」
ということになります。

 本来は父の真船博士へ向かうはずの蓄積した憎悪は、別の対象へと振り向けられて、メカゴジラという武力を通して、東京を破壊し、罪もない人びとを殺戮し尽くすのです。

 この桂の心理は、アリス・ミラーが分析したヒトラーの憎悪とホロコーストや戦争の関係と、極めて類似していて、重なりあうものだということがわかります。

 ヒトラーも桂もアロイス、真船博士という毒親の支配を受け、虐待され、機能不全家族の状況で、自我を奪われて憎悪を蓄積させて、それを他の対象に開放して、ホロコースト、東京大破壊という災禍を起こしてしまったのです。

(4) 桂が解放されたそのわけ

 こうした状況に陥った人を救済できるのは、その人を抑圧する周囲の人間がおかしいのだということを伝えてくれる他人の存在です。

 その他人に被抑圧者が信頼を寄せるならば、自我を取り戻すことが可能となります。

 桂は真船博士の異常さや、自分が置かれた状況への疑いを一ノ瀬という青年の存在で、確認し始めます。

 当然、真船博士もムガールも桂に一ノ瀬との面会を禁じるわけですが、桂の一ノ瀬への思慕は、徐々に彼女を自らの意思で行動させるようになります。

 そして、宇宙人の基地に奇襲攻撃をかけたインターポールの襲撃に、ムガールによって盾にされた真船博士は、流れ弾に当たって、桂の目の前で死んでしまいます。

 真船は最後に桂の名をを呼びますが、銃撃で腕を負傷した桂は、一ノ瀬の腕のなかで、自分自身を取り戻します。

 一ノ瀬は桂に言います。

「いいんだ、いいんだよ、たとえサイボーグでも、僕は君が好きだ。君のせいじゃない、君にせいじゃないんだよ」

 つまり、真船の死が、桂への実効支配を終了させ、一ノ瀬の「君のせいじゃないんだよ」の言葉に、桂は自我を取り戻すのです。

 そして、桂は憎悪を捨てて、自分を抱きとめてくれている一ノ瀬に愛情を受けとり、自らの愛情を返すのです。

 しかし、その抱擁の中で、桂は自分の憎悪で殺害しようとした東京都民の救済を考え、一ノ瀬に自分を破壊してほしいと頼むのです。

 桂の体のなかにはメカゴジラの制御装置が入っており、桂が死なない限りメカゴジラの動きを止めることが出来ないからです。

 自分を破壊して欲しいと請われても、桂を愛する一ノ瀬にはそれが出来ません。

 一ノ瀬の深い愛を知った桂は自らを銃で撃ち抜き、こと切れます。

 つまり、父、真船博士一人への憎しみが地球侵略攻撃という全人類を殺戮する憎悪に拡大したのに対し、一ノ瀬という一人の男性への愛が、全人類を救済する愛情へと拡大するのです。

 そして、支配から解放された桂は自らの自我で自己犠牲の道を選んだのです。

 その間、激闘が交わされる、ゴジラとメカゴジラの格闘は、いわば桂の心のなかで戦わされる憎悪の制御という戦いだとも解釈することも可能でしょう。

 ゴジラの勝利は、同時に自我を取り戻した桂の勝利ともなります。

(5) われわれの社会のなかにいる桂

 昨今、テレビの報道などで残酷な犯罪と家族という問題がクローズアップされています。こうした悲劇に潜む憎悪というものはどこから来るのか?
 そうした原因は家庭における自己形成のなかに潜んでいるということも一つの可能性なのです。

 機能不全家族のなかで虐待、あるいは精神的抑制を受け続ける者は、自分が犠牲者であることを隠しながら、自らを貶められた状況で耐え、自らを貶め憎悪や怒りを蓄積してゆきます。

 アリス・ミラーはその蓄積された憎悪が他者に向いて、他者あるいはその世界を破壊するか、自分自身に向いて自己破壊につながるかの二つであるとも述べています。

 その憎悪の淵から犠牲者を救い出す方法は、犠牲者本人が自身の立場を理解すること、あるいは一ノ瀬が桂を救ったように、犠牲者が置かれている、あるいはおかれていた状況がおかしいことを知らせてくれる他者の存在です。

 それによって、他者を破壊するという災禍を未然に防ぐことにもつながるのかもしれません。

 映画『メカゴジラの逆襲』は1975年に封切られた子どもに向けられて製作された映画であり、そもそも社会派映画ではありません。

 しかし、この映画は機能不全家族と憎悪の関係、そこから生み出される悲劇の可能性について読み解くテキストとして今回取り上げてみました。

 機能不全家族の犠牲者でもあった経験を持つ、わたし自身にとっても、この作品のある種のリアリズムがあることを感じます。
 そこから、今を苦しむ人たちが解放されるヒントが色褪せずあることも感じます。
 子ども向けの怪獣映画ということは、端においやって「大人の映画」として鑑賞していただきたい幻想映画の佳作であると思います。

参考図書:Alice Miller
“Am Anfang war Erziehung”
‎2014年Suhrkamp Verlag AG社刊
 
(追記)
 この映画の脚本を執筆された脚本家の高山由紀子さんには20年以上前に、仕事の関係でお話しさせていただく機会に恵まれましたが、この作品のこうした主題についてお伺いしなかったことが悔やまれます。
 高山氏はゴジラ映画における唯一の女性脚本家であることを誇りに感じているとおっしゃっていました。
 本多猪四郎監督による修正の指導があったとはいえ、シナリオ作家デビュー戦で、この作品を書き上げられた高山氏の才能には、全く敬服の念を抱く次第です。 

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