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『ゴジラ』と『美女と液体人間』 日本SF映画黎明期における時代を告発する批判力


『ゴジラ』1954年
『美女と液体人間』1958年

★時代を告発するSF映画の底力!

『ゴジラ』1954年・日本・東宝

監督:本多猪四郎
脚本:村田武雄、本多猪四郎
原作:香山滋
出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬

『美女と液体人間』1958年・日本・東宝

監督:本多猪四郎
脚本:木村武
原作:海上日出男
出演:佐原健二、白川由美、佐藤允、平田昭彦、千田是也

 1954年3月10日、ビキニ環礁における水爆実験によって、近海でマグロ漁を操業中だった日本の漁船、第五福竜丸が被曝し、船員は深刻な放射線障害に侵されました。

 同年11月3日に公開された東宝映画『ゴジラ』はこの事件を取り入れて、映画の冒頭で第二栄光丸という漁船が遭難する場面が登場します。
以下、その場面をシナリオから拾ってみましょう。

3 海面

 瞬間 海底から発した強烈な白熱光が四辺の  海面一杯に光り輝いて、泡立ち盛り上がる

4 栄光丸甲板

 「わっ」と絶句すると同時に、両眼を押さえてぶっ倒れる船員達、ごろんと素っ飛ぶハーモニカ

(村田武雄、本多猪四郎『ゴジラ』シナリオ決定稿)

このシーン3、4はその後、怪獣ゴジラの放射能火炎の仕業で、水爆ではありませんが、明らかにこれは、この映画が公開された9ヶ月前に起こった「第五福竜丸」事件を意識したものですね。
 さらに国会の専門委員会のシーンでゴジラと水爆の関係をどう公表するかを審議するシーンが登場します。

69 国会専門委員会

(前略)

大山「私は、只今の山根博士の報告は、誠に重大でありまして、軽々しく公表すべきでないと思います」
小沢婦人議員「何を云うか! 重大だからこそ、公表すべきだ!」
 と、野次が飛ぶ
大山「黙れ‼︎(と睨んで)と云うのは、あのゴジラなる代物が水爆の実験が産んだ落とし子であるなどという……」
小沢婦人議員「その通り、その通りじゃないか!」
大山「そんな事をだ、そんな事を発表したらたゞでさえうるさい国際問題がどうなると思うんだ!」
小沢婦人議員「事実は事実だ!」
大山「だからこそ重大問題である! 軽率に公表した暁には国民大衆を恐怖に陥しいれ、ひいては政治経済外交にまで混乱を引き起こし……」
小沢婦人「馬鹿者! 何を云っとるか‼︎」
大山「馬鹿とはなんだ! 馬鹿とは! 謝罪しろ‼︎」

(以下略)

(村田武雄、本多猪四郎『ゴジラ』シナリオ決定稿)

 この映画『ゴジラ』が封切られたのは1954年です。アメリカの占領という呪縛はわずか2年前の1952年に終わったところでした。
 占領がなくなったとはいえ、政治、経済、外交におけるアメリカの影響がなくなったわけではありません。占領期よりも自由になったとはいえ、日本はアメリカに遠慮するよりも他なかったでしょう。

 「たゞさえうるさい国際問題」、これは言うまでもなく、水爆実験を行ったアメリカへの政治的配慮を意味しています。
 
 このシークエンスは、1952年のサンフランシスコ平和条約の発効で自主独立を獲得したにもかかわらず、それ以降も外交ではアメリカに弱腰でいなくてはならない日本の当時の現状を示しているのです。

 『ゴジラ』では水爆実験を実行した主体がどこの国家かは明言していません。しかし、この映画を観た当時の観客は水爆実験を行ったのはアメリカで、ゴジラの白熱光に襲われる第三栄光丸が第五福竜丸のアレゴリーだということは説明しなくても感じ取ったことでしょう。

 驚くことは、『ゴジラ』のプロジェクトは、ビキニ環礁の水爆実験と第五福竜丸事件という、日本を震え上がらせた事件が起きた直後にこの映画をぶつけてきたことです。

 今から考えると、これはずいぶん思い切った行動だったことが伺えます。

 しかしながら、『ゴジラ』のこの反米カウンター、反核レジスタンスも当時はほとんど評価されることはありませんでした。

 公開直後に映画評論家の双葉十三郎は次のように書いています。

「もちろんこの怪獣によって水爆時代に対するレジスタンスをこころみようという意図があったにちがいない。が、それはいささか欲張りすぎだし失敗である。お客様は怪獣が東京をあばれなわるのがみたくてやってくる。お説教の伏勢を予期してはいない。だからうじうじした場面になるとそっぽを向いてしまう。一向に啓蒙されないわけで、ただなにを愚図々々してやがるんだ、もっと怪獣をあばれさせろと憤慨するのがオチである。」

(「日本映画批評」『キネマ旬報百○六号』キネマ旬報社、1954年、47頁)

 いささか、辛辣な批評ですが、当時の評論家の受けとめは、およそこの様なものだったのです。

 この1954年の怪獣映画による「反核レジスタンス」と「第五福竜丸事件」の表象は、これで終わりではありませんでした。

 4年後の1958年に公開された、同じ本多猪四郎監督によるSFスリラー『美女と液体人間』で再び第五福竜丸事件はモティーフとして描かれます。

 水爆実験で行方不明になったマグロ漁船が漂流しながら日本へ帰ってくる。そこに乗っていたものは、水爆の強力な放射能によって液体化して液体人間となってしまった船員たちで、液体人間は人間を襲っては存知のように液体人間を増やしてゆくという疑似科学空想映画です。

 被爆者を怪物にしてしまうというところは、なんともはや行き過ぎの感は否めないですが、「第二竜神丸事件」「クリスマス島」という言葉が出てくることは重要なポイントです。

 1958年といえば、翌年の1957年からイギリスが太平洋のクリスマス島沖で核実験を開始したという時代でした。つまり『美女と液体人間』はリアルタイムで行われているクリスマス島沖核実験と4年前のビキニ環礁の水爆実験を「第五福竜丸事件」で結びつけているのです。

 特記すべきは「クリスマス島」という地名を出すことで、核実験実行者をここで特定しているという点です。

 しかも、『ゴジラ』のような単なる荒ぶる巨大怪獣の物語ではなく、核兵器の熱線や放射能が直接人体に与える影響というきわめて生々しい恐怖を観客にぶつけてきます。

 ゴジラで感じる核兵器への恐怖より、液体人間で感じるそれはさらに大きいものとなったことでしょう。

 そして、この東宝SF怪獣映画の流れとは別の流れとして、新藤兼人監督が独立系映画として、映画『第五福竜丸』を世に送ったのが1959年、『美女と液体人間』公開の翌年でありました。

 SF映画というフィクションという形式で、実に5年も前から怪獣映画は「第五福竜丸事件」と核兵器をめぐる「たゞさえうるさい国際問題」に対してプロテストしていたのです。

 その後、「第五福竜丸事件」もモティーフは1963年の本多猪四郎監督の『マタンゴ』に再度登場します。この前年、クリスマス島沖でアメリカが核爆発実験を行っていました。

 1960年代の後半、アメリカのテレビ映画界において、人気を博していた脚本家のロッド・サーリングは、社会批判的な内容の企画やシナリオを映像化する際に受ける抵抗に頭悩まし、これをSFや幻想もので行えば円滑に社会へ向けて発信できるのではないかと考えました。

 そうして生まれたのが、伝説のSF幻想アンソロジードラマシリーズ『トライライトゾーン』(邦題は『ミステリーゾーン』)でした。
 サーリングの発明はテレビドラマ界に大きな影響を与え、その後も亜流のシリーズを産み続けることになります。

 SF空想ものは、事実を一旦フィクション化して、再構築して送り出し、主としてSFスペクタクルを楽しむ傍ら、伏流としての隠された主テーマによって鑑賞者や視聴者に社会問題を考えさせることを可能にする機能を持っています。

 『ゴジラ』公開時に双葉十三郎が「欲張りすぎ」とジャッジした時代は、まだまだ日本ではSF映画が持つこうした機能が一般的ではなかったのです。
 
『スターウォーズ』をはじめ『博士の異常な愛情』、果ては『アイアンスカイ』に至るまで、SF映画は現在では「正面切っては言えない」社会批判を娯楽として発信できる力があることは当たり前のこととなりました。

 公開時に批判にさらされた『ゴジラ』も現在では反核の映画表象として、研究者や評論家も繁盛に引用する伝説の映画となりました。

 いまでは実写SFよりもアニメーションの時代となりましたが、鑑賞者を喜ばせるウケを狙うことよりも、こうした社会批判力と社会を見つめる視点を失わないでもらいたいものです。

 水爆実験という未曾有の脅威にリアルタイムで抗った映画『ゴジラ』の時代を告発する勇気を忘れないでほしいと思います。


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