見出し画像

私は私に「帰ろう」

スピリチュアル的な話題は避けていたのだが、この歌を聞いたら書かずにはいられなくなった。 

藤井風の『帰ろう』 

死と死に向かってどう生きていくかを考えさせられる歌である。
これから書くことは、全部私の考えなので、(あぁ、こんなことを考えてんだな、コイツ)という程度で読んで頂けると嬉しい。 

* * *

去年までの私にとって「死」は、無に帰ることと考えていた。死んだら、ただの灰になると。天国だの、地獄だの、転生だの、そんなの人間が勝手に考えたことだろう。人間にだけ与えられた特権にもみえたし、それは人間のエゴだろう、と。

しかし、今年に入って自分と向き合う機会を与えられた。その結果、今は考えが変わってしまったのだ。 

この世に生まれてきて、
そして色んな人と出会い、そして別れ
自分の中に色んな感情を生み出し、
時にはそれを人にぶつけたり、
喜んだり、悲しんだり、怒ったり。 

そういう経験を肥やしにして、各々、自分の中の実を実らせる。 
自分が思い描く実に実らせるために、生まれてきたのだ。

自分が思い描く実は、一人一人違う。
本当の自分(潜在意識、魂)は、よく知っているのだが、生まれて来た時に記憶を失ってしまうので、生きている間に自分で見つけなくてはならない。
一体、自分は何を実らせる為にここに来たのか、と。 

人の意見を聞くことも大切だが、まずは自分の意見をしっかり聞かなくてはならない。自分と向き合うことが大切だ。
自分が本当にやりたいこと、なりたいものは、自分にしかわからない。 
そして最後に決めるのは、自分だ。目標を決めたら進めばいい。自分のハンドルを自分で握っているなら、軌道修正はいくらでもしていいと思う。最初の目標が、自分にとって「正」ではないこともある。長い人生には良くあることだと思う。

帰る(死)時に、物質的なものは何一つ持っていけないのは、当たり前のことだ。どんなに大事な宝物でも、この物質的な世界でしか、それを持っていることは出来ない。 

でも、自分の中で作られた実は、持っていけると私は信じている。
目には見えないけど、自分が生きていく中で見つけた大切な何か。
これは勝手な想像だけど、それは魂の中に刻まれるのかもしれない。
今生の卒業証書ってヤツみたいなものだと思う。 

それすら持っていけないとしたら、
何のために生きているんだ?
もし私が想像した最期が本当なら、
今、私はどう生きるべき?
自分で行きたいところ決めて、
そこにどうやって向かっていく?

私は最期に、
どんな実を実らせたいんだ? 



今まで家族や元相方さんを優先にし、自分を後回しした結果だが、この歳でこんなことを考えること自体、遅すぎるとは思う。しかし人生80年だとしたら、あと30年もあるわけだ。とりあえず遅れた分、ちょっと頑張るとして。 

私も大雑把であるが、この数か月でやりたいことのビジョンが大分固まってきた。今までの仕事とは違う分野。余暇の使い方…。どんな未来があるか謎だけど、これからは自分のためだけに時間を使おうと思う。