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私が英語を教える理由:自分を持ち、常識を常識ととらえず、前進してほしいから

中学で日本に帰国した時、周りの大人は、”みいちゃんは英語の先生になれるね”とよく言いました。でも昔からそうですが、英語が話せるからといって英語を教えたいとは思わなかったし、だから今教えている、というわけでもありません。もちろん、英語が話せないと務まらないし、英語ができるから英語を教えているという先生もたくさんいるかとは思います。
でも、それ以上に、子どもたちには視野を広げて自分を信じて前進して、アイデンティティをしっかりもって成長して欲しいという願いがあり、英語を教えています。

英語を通じて、自分を知ってほしい、自分とはどういう人間で、今後何をやっていきたいか、何ができるか、本当のことはどうなのか、どうしたら問題解決ができるのか、日本だけでなく、前向きに、地球規模で海外もみた上で考えてほしいから。(偉そうにすみません。)

なんというか、私は日本に帰国した中学三年の時、日本語は話せるけど難しい言葉はわからない、振る舞い方の違う、どこから見ても”変な”日本人、あるいは”ニセ外人”でした。

当時、私はテレビや芸能人の話についていけない、日本の文化に馴染めない、日本語は書かせたら小学生みたいな字、英語ができてすごいとおだてられるがそれさえも理解できない(そりゃ、みんなできるようになるよ、との反発)などなど、日本が異国となり、かと言って自分はアメリカ人でもないし、でも日本は理解できないし、という、なんとも”自分”は何なんだろうか、という宙ぶらりんな状態にありました。

先生にもバカにされ、日本人としてのアイデンティティも失い、受験生なのに”受験”というそのものさえもしっくりこないという、道の見えない毎日を送っていました。(この頃は昼間でさえよく眠くなり、今思えば自分の気持ちを話す相手もいなく、相当なストレスを抱え込んでいたと思います。) 

いわゆる思春期の友達関係のことだとか、勉強のことだとか、それらは二の次で、自分という人間が日本にいて、何から手をつけてどうすればいいのか、といった、漠然な疑問を持ち、ただただひたすらに毎日を過ごしていたように思います。(そして、きっとどうにかなるさ、という思考を持ちながら!)

この頃はストレスをストレスとは認識していませんでした。毎日できることを頑張るしかなく、とにかく明るく振る舞い、楽しく過ごすようにしていました。字が下手だったからなぞったり、漢字だらけの本は読めないので詩を読んだり。できるところを頑張ってやり、できないところは見ないふり😅

田舎では初の帰国次女だった私ですが、どうにか高校を楽しく過ごしました。しかし、大学に入っても日本に対する違和感はなんとなく抜けず、就職後、もう一度海外に出ることにし、結局今度は10年程日本を離れました。

しかし、これが良かったのです!

日本をもう一度離れた場所から見て、日本人や日本の文化を客観的に捉えられたから。様々な外国の方とも知り合い、一緒に働き、別の国を見てくると、日本ほどこんなに気配りができ、繊細で尊敬すべき人種、こんな国は他にはなく、自分は日本人であり、誇りを持つべきであり、日本の良さをより多くの人に広めたい、知ってほしい、と思えたのです。

15歳で初めて帰国してから、自分は日本人であり、誇りだ、と思えるようになるまで、結局15年以上かかりましたが…。

このように、英語ができて、海外を経験してくると、日本を客観的に見ることができるようになります。

日本での常識は常識ではないことに気づき、教えられることが本当に正しいのか、と自分で考える力も付いてきます。(だから、怒られることが実は怒られるべきことではない、そこは大事ではない、というようなことも自信を持って言えるようにもなったり。)

日本の良さに気づき、また、海外の良いところを取り入れることもできるようになります。

この逆も然りで、日本の悪いところにも気づき、海外の良くないところにも気づく。だから、いいとこ取りができ、解決策を導きやすくなるようにも感じます。

困難を”ストレス”と思うか、あるいは、やってやるぞ!となるか。幸い私は楽観的な性格で、バカにした人に対しては”今に見てろ!”というタイプなのが良かったのかもしれませんが…。

日本にいると、やはりこの国は”和”を大切にする国であり、今の時代でも、みんなと違うことはあまり良く考えられていないと感じます。

しかし、自分はみんなと違う、みんなが良しとするものを良しと思えなかったり、こうあるべき、ということが理解できないこともあります。自分だけちょっと違う、と思うと、自信をなくしてしまいそうになる国かと思います。

でも、英語ができると多文化も入りやすくなり、入ってくる情報も断然に増えます。あらゆる視点から物事を捉えられるようになり、それが自信にもつながります。

自分の考え方や振る舞い方が、他と違っていても気にならなくなるし、自分をしっかり持ち、理解を深めた上での判断ができるようになってきます。

だから、私の英語クラスでは、たまに物の見方や、常識を常識と捉えない、疑問を持つことの大切さなども組み込んで、前進できるような内容にしたりします。

こういうことを教えたい。そのために、私は英語は武器になると思うのです。だから、英語を教えているのだと思います。




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