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優しい虐待


この前、

このメロンパンめっちゃうまいー!

って思ったからリピってみたら今日のは微妙だった笑ほんのちょっと焼き過ぎたんちゃうか?これは釜の温度がちょっと下がってて焼き時間伸びてもーたパターンじゃないかと笑笑笑

でも分かるんだよなぁ…。メロンパンって焼くの難しい部類のパンだと私は思う!なかなかメロンパンを上手に焼けなかったパン屋のパート時代が思い起こされた今日この頃。

私は過干渉って優しい虐待だと思うんですよ。昨日の内容とリンクするんですけど、
よちよち歩きの子供が転んでしまったときに
「転んじゃったねー。」
と、大人が抱き抱えて起こす。

のではなく、
「転んじゃったねー。大丈夫だから自分で立ち上がってごらん?」
って促してあげること
が人としてあるべき姿勢です。

大人が抱き抱えて起こしてしまうことは、子供の【自分で立ち上がる力】を奪って封印してしまってるということになるんですよね。

子供の力を発揮させないって、虐待だと私は思います。


私はこれまでに、私はほったらかされて育ったストーリーの方を多く書いてきたかもしれませんが、要らんところへの過干渉が酷くて苦しんでいた面も多かったタイプです。

これも、何度か触れてきたように、今になって思い返せば、自分の家族には発達障害傾向が見え隠れしていて、そういう発達障害特有の[拘りを持ってしまう]という性質が悪い働き方をして、過干渉に繋がっていた面も多いのだとも思います。

ですが、私の家庭の場合はやはり精神的な歪みから生じていた過干渉だったので、今日はその辺の話に触れます。


私の両親は多分2人とも承認欲求が強いです。

これも、祖父母を見てると何となくわかるんですよね。片一方の祖父母は発達障害傾向からの子供への無関心、もう片一方は仕事などで忙しいことからの無関心、そんな祖父母の元で育って見事に歪んだ人同士が結婚したんだろうと、見ていて思います。

そうして、【認めて貰えない人】は自分の存在意義を見出したくて、お節介に走るんですよ。まじ大迷惑。


【相手の世話を焼いてる自分】に酔ってる状態ですね。たとえその"お世話"が、相手のためになっていようといまいとお構い無しなんです。

[自分が世話を焼いている]
という状況が欲しいだけ
なので、その行為が
本当に相手のためになっているのかどうか?』
という部分なんてどうでも良いんです。

自分の存在意義を見出して承認欲求を満たすためだけにただ世話を焼くのです。


承認欲求を満たしたい側としては、
[相手の役に立ちたい]
ではなく、
[相手の世話をしている自分という状態が欲しい]
という心理だけで動いているにも拘わらず、表層意識では
『この行為が相手のためになる。』
と信じて疑わないので厄介です。

それらの行為が迷惑に感じて、
「その行為、止めて。」
と訴えたとしても、その言葉は
[自分の存在を拒否された]
という深層心理と
『この行為が相手のためになる。』
という強固な表層意識での思い込みのせいで、
[反撃された]
という風に受け取られるので、そうなると余計意固地になって止めてくれなくなったりもします。


【甲斐甲斐しく子供の世話をする自分】
を押し付けるために、転んだ子供を起こし続ける訳ですね。


この手のお節介を押し付けるタイプは暇なんだと思います。

自分が打ち込むこと、集中すること、楽しむことが無いから、無駄に誰かに対して過干渉を繰り返し、自分の存在意義を見出そうと躍起になるのです。

自分の存在意義を見出すのに他人を巻き込んでんじゃねーよ、てめぇで勝手に完結しとけ


って話なんですけど、過干渉大国日本では、まだまだその感覚は浸透していないでしょうね。


この問題って凄く根深いと私は考えていて、
『相手がどう思うのか、配慮しましょう。』
という、他人軸による気遣いが間違った風に拗れている側面もあると思うんです。

「これは、相手のためだから。」
と、体の良い言い訳を利用して自分の利益だけを得ようとする小賢しい考え方の人間、日本人に多いと私は感じてるんですけど、そういう人間の考え方、やり口もなかなか蔓延してる部分もあって、一朝一夕にして改善されるものでもないのかな、と。

とはいえ、改善の余地は絶対にあるし、できることから1つ1つ取り組めば、やがて優しい虐待を無くすことも可能だとも思っているから、これらを改善していくための考え方を書いておきますね。


【過干渉されて辛い側の人間】
こっち側の人が圧倒的に私のこの話を読んでると思いますが、

『まずは自分が、自分に集中する!』

これが鉄則です。

気付いた人から
[自分に干渉する]

ことに強く取り組むのが大切なんです。


何かしら感情が動いたとき
『イラッとしたね。何が気に入らなかったかな?』
『何か嫌に感じたね、何が嫌だったかな?』
必ず自分に質問をすることです。

この部分も再三書いてきた内容ですが、本当に大事な上に、なかなか簡単に定着もしてくれない部分でもあるので、何度も書きますよ。

『○○さんが△△で嫌だった。』
『じゃあ、どうだったら嬉しかった?』

必ず自分が主語になる意見を引き出す訓練を繰り返さないといけません。心の筋トレです。

私たちは
『何であの人はあーしてくれないの、大体いっつもあの人は…』
の、ように、他人について考えるのが癖になってしまっているケースが少なくありません。しかし、
『あの人は…』
から
『自分は…』
で物事を考える癖に直すことが、過干渉をはね除けることに繋がっていくのです。

何か余計な干渉を繰り返されたとしても、
『干渉、鬱陶しいよね。でも、自分は今、何に興味がある?』
と、自ら気を逸らすように繰り返すことで、その内相手からの干渉もあまり気にならなくなってきます。気にならなくなるまでに、時間がかかってしまう場合もあるかもしれませんが、必ず結果が出るときが訪れます。


転んだ子供を抱き起こしてしまうことも優しい虐待ですが、転ばぬ先の杖も優しい虐待とも言えます。

「こっちにしときなさい。」
「これをやりなさい。」
親の意見を押し付けることも、子供の【自分で考えて選択する力】を奪って封印することになります。


転ばぬ先の杖に至る心理も、先程の承認欲求が元になっている場合は多いです。

ただ、それだけでなく今度は
『自分の知らない世界に子供が出ていって欲しくない。』
という心理も加わるから、これも複雑です。

劣等感を強く抱えたタイプの親だと、子供を自分の支配下に置くことで
『自分は偉いんだ!』
と勘違いを続けられるので、コントロールしたがります。だから、コントロールをするために、自分の知っている範疇から出られるのを怖がる流れになります。

逆に、臆病なタイプの親だと、【自分の知らない世界への恐怖心】が強過ぎることから、子供を縛り付ける流れになります。

それらの両方かもしれませんし、複雑に絡み合ってるのかもしれませんし、何にしても表層意識的には
あなたのためを思って。」
なのですが、蓋を開けてみればそれは
『未知の世界に対する自分の恐怖心を刺激しないで欲しい。』
というエゴでしかない訳です。


進学を中心に、親の金銭的援助や様々な承認が必要な年代だと解決は難しいかもしれませんが成人した、いい大人であれば、

[自分の選択をいちいち親に言わない]

という方法が手っ取り早いです。

不安症の親はいちいち根掘り葉掘り聞いてくるのも世の常かとも思いますが、その度に
「別に~」
「テキト~に~」
「何となく~」
など、のらりくらり曖昧な返答しか返さないスタンスを取り続ける方が何かとお互いのためになります。

本来、自身が不安症なのであれば、
『聞くから不安になるんだから、いちいち余計な情報は自分に入れない!』
としっかり決めて自分にとって大事なことだけに専念するのが筋じゃないですか。

それを怠って質問を繰り返す人間に対しては

[聞かせない]

ように突っぱねる対応をしてあげることが逆にその人のためになる部分もあったりするんですよ。

毒親育ちあるある、
[親に促されるまま流されてしまう]
ここに抗うことを強く意識するのはとても大切です。親のペースに巻き込まれずに、親の無意識からの攻撃にはしっかり[反応しないという反応]で返すことで道は開けてきます。


【自分で立ち上がる力】
【自分で考えて選択する力】
これらを奪われてしまった毒親育ちって、何かと苦労するじゃないですか。しんどいじゃないですか。

けど、これらは絶対に取り戻せますから、希望は捨てないでくださいね!

申し訳ないけど、優しい虐待をナチュラルに続けてしまう人は、頭か心か、両方かが足りないので、
『いつか直るんじゃないか?』
という期待は持たない方が良いと思います。

そんな人たちは放っておいて、優しい虐待によって奪われた自分の力を取り戻す方に意識を向けられる人が増えることを願ってこの話を書きました。


とにかく根気強く

["自分に対して"関心を持つ]

ここに取り組める人が1人でも増えますように。


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