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和を以て貴しとなす



{2023.06.07の記事}

私、そんなにパン好きじゃなくて、
『絶対毎日は食べたくない!』位に思ってはいるんですけど、パン屋さんの匂いって、すっごい幸せになりますよね!

もはや匂いを嗅ぐためだけにパン屋さんに通いたい位です。

食べないからなかなか行けないけどね。

 

私は、日本人の
〖こと無かれ主義〗
が大嫌いです。

物事に真剣に向き合うべきタイミングや、
対立する意見について議論を深めるべきタイミングなど、

【物事から逃げてはいけないとき】

ってあると思うんですよ。

争うのではなく、真髄に向き合って両者の意見を深め合っていくことで、お互いが納得できる思想へと辿り着くことは不可能ではないのではなないでしょうか。


と、言いながら
『あ、日本人のアレは〖こと無かれ主義〗では無かったのか…!』と、理解した部分の話を今日書きます。


話が二転三転するような書き方になってしまうのですが、私個人的には
『〖こと無かれ主義〗は絶対にいけないと思う!』という部分は今も変わりません。

何でもかんでも、全てに白黒つける必要もありませんが、
[より多くの意見を元に議論を深める]
ということを行うことで、
より多くの人の"心の落としどころ"を通過した上での結論をまとめられる可能性が高まるからです。

[意見を押し黙っているだけでは、自分のためにも周りのためにもならない]
という側面があるということを理解しておくことも大切です。


そんな中、
【明らかに程度の低い野次や挑発】が飛び出てきた時は、

[相手と同じ土俵に立たない]

という選択を取れることも私たちが身に付けておくべきスルースキルなのだと深く理解したのです。

🔻この記事 🔻

で、怒りを手放す考え方の1つについて書いたのですが、この話を書いたとき私は
[同じ土俵に立たないことの大切さ]
理解していませんでした

ところが、ふと、
『そうか。無駄な争いを減らす、生まないためには同じ土俵に立たないことを身に付けることは大切なことで、私たち日本人が目指そうとしてきた精神の本質なのかもしれない。』と感じたのです。


正直[同じ土俵に立たない]ができていない大人の方が多いのではないかと私は感じてはいるのですが、日本人の精神の中にはうっすらと
『同じ土俵に立たないように心がけよう。』とする意識(思想)もあるようにも感じます。

現に「同じ土俵に立たない」という言葉も存在している上に、この言葉の意味を理解している人の数は多いはずです。

体現できている、できていないに関わらず、
『その言葉の概念への理解はある』という人がほとんどなのではないかと思ったのです。


同じ土俵に立たないためには、
『相手がなぜその言葉を発するのか?』
という部分に理解を示す必要があります。

相手の考え方に理解を示すことができなかったとしても、
[相手のバックグラウンドを考慮する部分までならできる]
という人が日本人には多いのではないでしょうか。

意見が対立してしまうと、ついカッとなって反発してしまいがちですが、そこで怒りに飲み込まれずに、冷静を保てるよう心掛ければ
『この相手は、どういう経緯でこの意見を述べているのだろう…?』と、少し余裕を持った対応ができるようになる人は多いと思います。


初めは絶対に難しいとは思いますが、機会がある度に心掛けるよう繰り返すことで、このような余裕を示す振る舞いを身に付けることは可能です。

そうやって、

[自分自身の心を平和に保つ術を身に付けること]

こそ、
[日本人が古来から目指してきた思想]
であり、
[現代の私たちも目指し続けるべき思想]
なのではないかと強く感じました。

この部分に気付いたとき、

『なるほど!"逃げる"ではなく、"躱す"を目指していたのか!』

と、妙に腑に落ちたのです。


ただ、多くの人は単純に[色々なことと向き合うことから逃げる口実として]〖こと無かれ主義〗を選んでいるだけであるのも事実だと思います。

今一度、色々な人が思想について考え直してみるのも悪くないと思い、書いてみました。




因みに
【明らかに程度の低い野次や挑発】
こういう言葉を発するタイプは、幼少期から[いたずらをして家族の気を引く]ということを繰り返してきた、【幼稚なタイプ】が多いのだと頭の片隅に置いておくと、スルーしやすくなります。

本人に自覚は無いでしょうが、相手が怒ることにメリットを感じているのです。

相手が怒る=自分の相手をしてくれる
相手が怒る=自分に向き合ってくれる
 

と、いう意識の元、気を引こうとしている、アダルトチルドレンにも多いタイプですね。

また、
「どれだけ怒っても、自分のことを見捨てないでいてくれるよね?」
という、愛情のお試し行動である場合も多いです。

どんなに見た目がいかつかったとしても、どんなに酷い言葉を浴びせてこようと、
『中身はただのおこちゃまなんだ。』と、相手にし過ぎない方針を取ることも時に大切です。

こういう相手は、挑発を受けて怒って対応し続ける限り治りませんので、暴言が出る度に真顔で、無表情で、言葉数少なく、冷静に対応する、ということを心掛けると良いです。

※この相手と今後も関係性を改善させながら交流を続けたいと思う場合のみです。関係性を絶っても良い相手なら、無視をしてそっと距離を置くのが無難です。


【いたずらや、悪さをすることでしか家族から相手にして貰えないまま身体だけが大人になってしまった人】

このような表現だけ見れば、可哀想だったり、同情してしまう気持ちも出てくるかもしれませんね。

ただ、こういうタイプは本当に厄介です。

言葉も行動も、悪い部分はエスカレートし続けたり、どんなに諭したところで
『その言葉や行動が悪いことなんだ!』と心の深い部分で理解できなかったりします。

『いつか、解ってくれる。』は絶対に通用しない相手だと心に留めた上で接しないと、自分の心が持たなくなってしまう、という点も頭の片隅に置いておくと良いでしょう。




【自分の心を平和に保とうとする精神】
を磨くことは本当の意味での強さに繋がります。

かっこいい大人を目指してみるのはいかがですか?

おわり


ちょっと違うけど…。

私個人的に
『武士は食わねど高楊枝』っていう精神も結構好きなんですよね~。

『見栄を張る』みたいなニュアンスで使われることもあって、印象が良くないと感じる人が多いのかも分かりませんが、私は

〖余裕を見せる〗

っていう振る舞いも、時に大事な場合があると思うんですよ。

余裕があるように振る舞うことで、本当に余裕になる。

引き寄せの法則に近いものも感じるし、
『自分なら、できる!』って自分を鼓舞させてくれる感覚もあって、色んな場面で合言葉に使ってます。


喧嘩売られたら、すぐに買うんじゃなくて、
『喧嘩なんて買わなくても自分は既に精神で勝ってるんだ。』みたいな余裕を見せれるって、めっちゃかっこよくないですか?

そういう人に
私はなりたい

喧嘩売られることなんてそうそう無いとは思いますけどね *⌒艸⌒


本文にあえて書いてないんですけど、気になる方は是非是非
『和を以て貴しとなす』の本当の意味も調べてみてくださいね。

このブログの内容がより一層伝わると思います。

必要な方に届きますように。


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