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Alone again, naturally

 金曜日の昼下がり。行きつけの公園は、たくさんの小学生たちに占領されていた。すぐそばの施設に見学で来たのだろう。子どもたちは芝生の上で数人のグループずつに分かれ、おしゃべりしながら楽しそうに弁当を食べていた。

 微笑ましい光景を見渡していると、集団の輪から少し離れ、歩行路のすぐ脇にシートを広げて一人で座っている少年がいることに気がついた。他の子とほんのちょっと離れているだけで、完全に孤立している訳ではないのだが、周囲の誰も彼を気にかける様子もないし、彼も特段さみしそうにも見えない。

 彼がぽつねんと一人で弁当を食べているのは、どうしてなんだろうか。他の子たちとうまく付き合えなくて自分から離れているのか。仲良しグループの子と喧嘩してしまったのか。あるいは・・。

 いろいろと想像を巡らせつつ彼の横を通り過ぎるとき、私は彼の顔を思わず見つめてしまった。一人でさみしくないかい?大丈夫かい?と問いかけるような気持ちで。

 すると、彼は何か言いたげな表情で、私に視線を返してきた。恐らくは条件反射的な反応なのだろうが、その目に宿る光に引っかかるものがあって、再び目を合わせずにいられなかった。だが、彼は親御さんが作ったであろう弁当に顔を落とし、食事を再開した。

 楽しいはずの遠足?の昼食の時間、集団から離れて一人でいるという状況を、彼が好ましいものとして受け容れているなら問題はない。あるいは、一人でいることを好む彼の個性を周囲が理解し、尊重してくれているのかもしれない。もしそうなら、学校は素晴らしい教育をしていると思う。

 一方で、理不尽な理由による孤絶だったり、少年が辛い思いをしているなら、話は違ってくる。大人が何とかしなければならない。

 しかし、ただ横を通り過ぎただけの通行人に過ぎない私には、何もすることができない。彼にとって、彼ら彼女らにとって、私は異邦人にすぎないのだから。

 ・・と、あれこれ考えているうち、私はどうしてあの少年のことがこんなに気になるのか?という問いにぶち当たった。

 理由はすぐに思いついた。彼の姿が、自分と重なるように思えたからだ。彼と同じ年頃の自分、いや、それ以上に今の自分の姿を見ているようだったのだ。

 例えば、出社時にも昼食は必ず一人でとる。公私ともに「群れ」の中には、自分からは積極的に入っていかない。誰かに話しかけれられればそれなりに会話はするし、根が関西人なので笑いをとることも好きで、一切の社交を拒絶している訳では決してない。だが、気がつけば一人で行動していることが多いのだ。

 それをさみしいと感じたことはない。ただ、時々、自分が水面に落とされた油の滴のように思えて、どうしていつもこうなってしまうのだろうと考えこんでしまうことはある。

 思えば、そんな性格は子どもの頃から変わっていない。幼かった時分には、集団に入り込めないことが悲しく思えた。

 だが、自分一人でしかできない楽しみも見つけられたこともあって、そんな状況にはだんだん慣れてしまった。それに、こんな私でも、歳を重ねるうち、数は少なくても一生の友と呼べるような人たちにも、そして家族にも出会えた。50歳を超えた今は、「気がつけば一人」の自分でもまあいいじゃないか、そんなに悪くないなと思えるようにはなっている。

 金曜の公園で見たあの少年も、もしかすると「気がつけば一人」の仲間なのかもしれない。そう考えると、妙な連帯感が心に湧いてきた。ヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン天使の詩」で、本人役で出演のピーター・フォークが、人間の目には見えない天使ダミエルに向かって「君がそこにいるのは感じられる。Compañero(仲間)!」と手を差し出すシーンのように、彼のところに駆け寄って握手したいくらいだ。

 彼が私と同じように、自分を受け容れてくれる人と出会い、いつまでも楽しめる趣味を手に入れられることで、一人になりがちな自分を受け容れてくれたらと願う。

 というようなことを書きながら、村上春樹氏がDJを務めるFM番組を聴いていたら、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」が流れてきた。

 思えば、この曲のリフレインの歌詞は「Alone Again, Naturally」で、「やっぱり一人」「気がつけば一人」だ。歌詞全体で歌われている内容は、穏やかな曲調とは裏腹に残酷というか陰惨なもので、この曲を自分の人生に重ねるのは縁起でもないが、どういう訳か独りぼっちになっているというフレーズは自分には合っているような気がする。

 書いていて思い出したのだが、子供の頃、親に買ってもらった安いラジカセに、この曲のイージーリスニング編曲バージョンが入ったカセットテープがついていた。メロディの美しさに心を奪われ、何度も繰り返し聴いていた時期があった。当時、この曲の内容なんて何も知らなかったけれど、どうにもクラスに馴染めずに浮いていた頃に、よくもまあ自分にぴったりな曲を好きになったものだと思う。

 ああ、私は一体何を言おうとしているのだろう。音楽のことなんて書くつもりはなかったのに、数日前に見た一人の少年の記憶をたどるうち、思いがとっちらかって、発散してしまった。

 ただただ、あの男の子が、自分の生きたいようにのびのびと生きてくれることを、私は願っている。Compañero!


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