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備忘録#3 [キース・ヘリング展 アートをストリートへ]

2024年の元日に森アーツセンターギャラリーで「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」を見に行った。
キース・ヘリングは、1980年代のアメリカ美術を代表するアーティスト。

キース・ヘリングの人生を辿るような展示構成で、有名になるきっかけとなったサブウェイ・ドローイングから始まり、美術以外の芸術分野との交わり、反戦・核放棄・反人種差別・HIV・エイズ予防などの社会的メッセージ、作品を大衆に届けるための活動などが一気に見れる。
いちばん最後に、彼が特別な想いを抱いていたという日本にまつわる作品が展示されていた。

アートを大衆(=アートに関心がなかった人)に広めることに心血を注いだアーティストなんだなということが分かった。
もし現代にいたらSNSめっちゃ使うのかな?使うんだろうな。

少し話は逸れるけど、他のアーティストの作品をSNSで見て、いいな〜と思って展示を見に行ったら実物はいまいちだった経験がある。
じゃあそれは悪い作品なのかって言われると別にそんなこともなくて、デジタルデバイスで見ると良い、ということなんだと思う。デジタルアートでいいんじゃない?ってなるけど。
キャラクター系の作品なんかはその傾向が強いように感じる。

そうなってくると、キース・ヘリングは、そのモチーフからしてど真ん中で「デジタル映え」する部類の作品になりそうな気もする。
思い返してみると、作品を見た時の物足りなさはなく、むしろ非常にパワフルでエネルギー溢れる印象を受けた。
なんでだろう?

良いアートの基準ってなんだ?ということを考えさせられた。
これって人それぞれなんだろうけど、個人的には「独自性がある」ことが良いアートの条件だと考えている。
独自性の構成要素として、①コンセプト、②表現物、③コンセプトと表現物の繋がり、④歴史における文脈、この辺があると思う。
※誰かがルールを決めてるわけじゃないから、あくまで自分の中での整理的な意味合いでしかないです。抜け落ちている要素もありそう。あくまでメモ。

かつ、それが評価されていくためには影響力も必要になってくる。
影響力は、認知度、批評、市場価値、フォロワー(SNSのじゃないよ)とかから構成されるのかな。

キース・ヘリングは自身が社会的に弱い立場であり、その立場から差別や戦争というトピックを大衆に伝えるために、記号的でシンプルなモチーフでコミカルに表現しているという点に説得力がある。
また、大衆に伝えるためにポスターを使ったり、地下鉄を使ったり、ポップショップをオープンしたりと、ポップアートやストリートアートの流れで説明できる。

作品に関係ないアーティストの振る舞いみたいなものも少なからず影響してくるってことなのかな。
MACCHOも言ってた、どの口が何言うかが肝心ってこと?

おれ、作家が何してても作品がよければいいんじゃない?と思ってたんだけどな。
この辺もあくまでグラデーションなのかな。

ってことを考えた。

ほんとはパラダイス・ガラージに通っていたこととかも書きたかったんだけど、これも色々リサーチしてまた別の機会に書こうと思う。



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