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ナカさんの読書記録 「父・高浜虚子 わが半生記」池内友次郎

家の近所に正岡子規の終の棲家「子規庵」があるのがきっかけで俳句に興味を持ちました。子規関係の本を読むと高浜虚子との「道灌山事件」というのが出てきます。それを読み「虚子って勉強嫌いで恩のある子規の言う事も聞かず、俗っぽくて嫌な奴かも?!」と勝手に思ってました(笑) ですのであまり虚子については興味がなかったのですが、最近習い始めた俳句講座の先生が「虚子は一生かけて勉強してもいいくらい価値があります」というので半信半疑で色んな本や句集を読み始たら・・・ハマりました。というわけで毎日虚子の俳句や俳句論を熱心に読んでいます。
虚子の長男は俳人の高浜年尾、次男は作曲家の池内友次郎。名前くらいは聞いたことありましたがどんな作曲家かは全然知りませんでした。半生記を読んでみることにしました。

ざっくりいえば、裕福な家庭の次男坊が好きな音楽の勉強でフランスに渡り、日本に帰ってきてからは音大の教授になり後進の指導に注力した、という感じでしょうか。当時はドイツ音楽が主流だった日本の音楽教育に違和感を感じてフランスを選び、父・虚子に頼み込んでフランス留学させてもらうわけですが、その頃のフランス音楽界はラヴェルやR・シュトラウス、シェーンベルク、ルーセル、プロコフィエフ、プーランク、オネゲルなどが華々しく活躍した時代!そんな中で音楽を勉強した友次郎さん、ピアニストのコルトーに傾倒してたそうです。フランスでも父のおかげで贅沢な暮らしが出来て、日本に帰ってきてからも何度もコンクール審査員の招聘などでフランスに渡っています。(そのたびに虚子は嫌な顔をしていたらしいけど)

帰国後の生活は虚子の事務所(出来たばかりの丸ビル)の隣に部屋を借りてもらうなど、親のすねをかじっていた感じでしょうか。コネでコロムビアの専属作曲家にもなりましたがあまりいい仕事もなかったり。虚子から毎朝五円のお小遣いを貰っていたとも書かれています。今の金額に換算すると三千円位でしょうか、三十歳も過ぎているのに・・・(このエピソードはちょっと恥ずかしそうに書いてある)
お酒呑み過ぎて鎌倉の実家に真夜中帰ると鍵がかかっていて家に入れない。女中に「なんで鍵を閉めてしまったのだ」と文句を言ったらその後ろに虚子が怖い顔で立っていて「お父さんと話をしよう、お前ももう三十歳を過ぎたのだから着実な生活をして自分の仕事に没頭すべきではないか」と説教喰らった話。まるで落語の「六尺棒」を地で行くようなエピソードですね!でもきっと虚子は友次郎をとても愛して可愛がったのでしょうね。

友次郎の半生と虚子の最晩年までを描いたこの本ですが、全体的には友次郎さんのお坊っちゃんらしい、大らかでいて自己愛強めなエピソードが多いのですが、最後の4ページは不覚にも涙が出てしまいました。
「鎌倉の家の茶の間で父と私が対座していた。どうしてか、父は、人生は悲劇だな、死があるから、と言った。そして、だが僕は死を恐れないよ、死というものは夜眠って目が覚めないことだと思う、と淡淡と続けて言った。なお、永遠の眠り、という言葉があるが、古人はうまい表現をしたものだ、と感心していた。」
この会話からほどなくして虚子は倒れて八日後に亡くなります。
「それからまもなく父は骨になった。火葬場では見上げるほどの高い煙突からいつしか煙が流れていた。その煙の中に黒い紙片のようなものがときどき混じって飛び去ってゆくのであった。姉真砂子が、あれ歳時記よ、と言いながら、悲しげにそれを眺めつづけていた。お棺に三省堂の歳時記を入れておいたのであった。これもあわれであった。」
季語と共に灰になって飛んで行った虚子。それを眺めている子供たち。悲しいけど虚無な風景。この本のラスト4ページ、なんども繰り返し読みたいと思いました。

虚子も友次郎も、どこか「虚」な感じがする二人です。本名高浜清の「きよし」を子規が「虚子」と名付けたわけですが、とても言い表しているなと思います。熱くもなく冷たくもなく、常温な二人。自然体というのもちょっと違う。池内友次郎の音楽もそんな感じに聴こえます。
虚子の自作朗読に友次郎の音楽が付けられたレコード音源が日本伝統俳句協会のサイトで聴くことが出来ます。

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