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マルクス・アウレリウス『自省録』ポイント解説⑤

この記事をご覧くださり、本当にありがとうございます。

前回に引き続き、マルクス・アウレリウスの『自省録』について取り上げていきたいと思います。

マルクス・アウレリウスって?『自省録』って?

という方は、ぜひ導入記事もご覧くださいね!↓↓

さて、『自省録』と言えば、通常版はとても内容が重厚で、ゆっくりと深めて読む必要があります。

参考までに、通常版の『自省録』はこちらです。↓↓

とはいえ、『自省録』の内容は膨大で、全てをご紹介するのは大変です。

そこで、「超訳・自省録」を教材に、さらにポイントを絞ってお伝えしていこうという企画になります。

現在まで4回に渡り、超訳版第1~7章の解説をしています!

前回までの復習はマガジンの方をご覧くださいね☆↓↓


今回は第5回、超訳版8章から6選のご紹介になります‼

段々と一章ごとのご紹介となっていますが、後半になるほど内容が深まっていくため、仕方がない!

あと少しばかり、お付き合いください。



第8章 自分の道をまっすぐに進め


143.人間の限界を超えることは神々に祈れ

神々にはまったくパワーがないのか、それともパワーがあるのか、そのどちらか一つだ。

もしパワーがないのなら、なぜ君は神々に祈るのだ?

もしパワーがあるなら、なぜつぎのようにしないのだ?

「悪いことが起こりませんように」とか、「よいことが起こりますように」と祈ったりせずに、「自分が恐れるものを、いっさい恐れないように」、「自分が欲しいと思うものを、いっさい欲しいと思わないように」、「なにが起こっても悲しまないように」と祈らないのか?

もし神々が人間に協力できるとすれば、こういった願いごとは確実に叶えてくださるものだ。

「自分の力でなんとかなることは、神々は助けてくださらない」なんて、誰が言ったのだろうか。

さあ、とにかく祈りはじめてみよう。

きっとその効果がわかるはずだ。


通常版では、「何ものをも恐れず、何ものをも欲せず、何ものについても悲しまぬようにして下さいとなぜ祈らないのか」とあります。

つまり、神々がなにかをできるとするならば、私たちは何かを要求するのではなく、「何事をも動じない自分になれますように」と祈るべきなのではないか、というのがマルクス・アウレリウスの考え方。

それに、人間の力でどうにかなることだって、祈り方によっては神々は助けてくれる。

そして、人智を超えることは、神々に祈るしかない、と。


146.人間は耐えられるように生まれついている

生じるものはすべて、もともと君に耐えられるものか、もともと君には耐えられないものか、そのどちらか一つだ。

もしそれが、もともと耐えられるものであるなら、不平を言うことなく耐えるべきだ。

もしそれが、もともと耐えられないものであっても、不平など言うべきではない。

なぜなら、苦しさに耐えられなくなる前に、君はすでに消滅しているからだ。

しかし、次のことは覚えておくとよい。

自分のためになるとか、そうするのが義務だと考えるものであれば、自分の考え方ひとつで耐えられるし、苦しさをやわらげることもできる。

だからこそ、君はもともと耐えられるように生まれついているのだ、ということを。

私たちの人生におこるすべての出来事は、私たちに耐えられるようにできている、というのがマルクス・アウレリウスの考え方です。

そして、耐えられないような出来事が来た場合には、そもそも私たち自身も生きてはいられないだろうから、そもそも悩んでいる必要がないと。

そこまで人生を達観できたなら、ちょっとやそっとの事では動揺しないでしょう。

つまり、自分の考え方ひとつで、苦しい出来事も耐えることができるのです。

私たちは、人生の課題に耐えられるように生まれついていると考えましょう。


149.自分の道をまっすぐ前に進め

なにをなすべきか、自分の力で探し求めることができるのに、なんで十分に考えもせずにあれこれ想像したりするのだ?

もしはっきりと見えるなら、ほがらかに自分の道をまっすぐ前に進み、引き返したりしないこと。

もしはっきりと見えないなら、いったん立ち止まって、最適なアドバイスに耳を傾けること。

だがもし、行く手に立ちはだかるものがあれば、状況がゆるすかぎり、ただしいと思われるものを守りつつ、熟慮の上前進するのだ。

自分の進むべき道が見えているなら、まっすぐにその道を進むこと。

自分の道が見えないならば、優れた相談相手の忠告に従うこと。

何か障害が起きたときには、熟慮しながら正義と思うことを実現していくこと。

これは現代の仕事や人生においても、大切な考え方・リーダー論となりそうです。


155.心のなかでも不平不満はもたない

誰かが私を軽蔑しているとしよう。

だが、それはその人の問題だ。

私としては、軽蔑に値することをしたり、言ったりすることを人前でさらさないようにするに尽きる。

誰かが君を嫌っている?

だが、それはその人の問題だ。

私としては、どんな人に対しても親切で好意的であるだろうし、その人に対しても間違いを指摘してあげる用意がある。

ただし、非難がましい態度ではなく、忍耐していることを見せつけることはなく、正直で寛大な態度で指摘するのである。

心の中ではそうあるべきであり、不満足であったり文句を言ったりする姿が神々に見られてはいけないのだ。

自分を軽蔑したり、嫌ったりする人がいたとしても、それはその人の問題。

自分としては、軽蔑に値するようなことを他の人に見せないようにすること。

あらゆる人に親切と善意を抱き、相手の過ちを示す用意もすること。

どんなことに対しても不平不満を持つべきではなく、その不平不満を神々に見られるべきでもない。

マルクス・アウレリウスの心の中は、正直で寛大なのですね。


157.人生の目的を明確にせよ

人生に首尾一貫した目的がなければ、首尾一貫した人生を送ることはできない。

だが、これだけでは十分ではない。

人生の目的がどうあるべきかを明確にしておく必要がある。

世の中のすべてのものごとについて、善いことはなにかという共通認識など存在しない。

ただし、共通の利害関係については例外だ。

だからこそ、私たちがめざす目的は、社会的に共通で、政治的に共通のものでなければならないのだ。

意欲のすべてをその目的に向けるなら、その人の行動は首尾一貫したものになるだろうし、またその人の人生もつねに首尾一貫したものになるだろう。

自分の人生の目的とは何であるべきか。

私たちの目的は、公益に関するものでなければならない。

公益にかなった、一つの人生目的に向けて努力する者は、一生を貫く人生を送ることが出来るでしょう。

人生の目的を、明確にしてみませんか?


160.全身全霊で正義を行え

不安のない人生を送るには、個々のものごとについて、素材がなにか、そしてどのような原因でつくられているか、そのすべてを徹底的に観察してみることだ。

そして、全身全霊で正義を行い、真実を語ることである。

善いことを途切れることなくつづけて行うことで人生の喜びを知る以外に、いったいなにが残されているというのだろうか。

一つ一つの物事を徹底的に見極めること。

心の底から正しいと思うことを行い、真実を語ること。

幸福の連鎖により、人生の喜びを知っていくこと。

これこそが人生の意味だといえます。


〈まとめ〉

いかがでしたでしょうか?
今回のポイントをまとめておきましょう!

第8章 自分の道をまっすぐに進め

  • 人間の限界を超えることは神々に祈れ

  • 人間は耐えられるように生まれついている

  • 自分の道をまっすぐ前に進め

  • 心のなかでも不平不満はもたない

  • 人生の目的を明確にせよ

  • 全身全霊で正義を行え


マルクス・アウレリウスの『自省録』を読み進めるにつけて思うこと。

当時は書店でノウハウ本を読み漁ることもなく、自らの内面に深くうがちいった時代です。

ストア派の哲学を読み込み、自己内対話をすることで内面を深めていったマルクス・アウレリウスの哲学は、現代人には到底真似できないほどの深淵さがあります。

忙しい現代人よりも遥かに広い心の王国を耕していたマルクス・アウレリウス。

古代人の方がむしろ、思想性としては高かったのかもしれません。

尊敬の思いで読み進めてきましたが、次回はついにラスト、第9章[「死を想え」を迎えます!

どうぞお楽しみに。

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。


※「自省録」のマガジンをつくりました☆

本日の記事もこちらに所収します。

頑張って完成させてみますので、温かくお見守り下さい♪


※自己紹介とサイトマップをつくりました♪

今までの全記事一覧も載せていますので、よかったら参考にしてみて下さいね!


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