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歌集評・一首評・その他書評

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歌集評や同人誌などの一首評、小説の書評です。
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記事一覧

【書評】『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』ホリー・ジャクソン(小説)

(作品の内容を含みますので、少しでもネタバレしたくない方は  ぜひ作品を読んでからお越しください) 真実を知ることは痛みを伴う。 時に大きな代償を払うことになる。 本書の主人公、高校生のピップ(ピッパ・フィッツ=アモービ)は、自分の住む町、 イギリスはリトル・キルトンで起きたある事件に疑いを持ち、調べ始める。 彼女は正義感が強く元気いっぱいで恐れ知らず、と言うかかなりむこうみずで 怪しいと思った人に直撃インタビューをしたり、他人に成りすましてメッセージを送ったり 時には他

【書評】『風を待つ日の』野田かおり歌集

肌寒き春の空気を逃しつつレターパックに課題を詰める コロナ禍の定時制高校。休校が続いている。 教員をしている主体が生徒たちの家へ課題を郵送するところだろう。 春の空気を逃す、という言い回しに、主体自身のやるせなさが滲むようだ。 この歌集は、コロナ禍の教員生活を明確に詠っている。 ほのほのと運ばれてゆく福祉科の春の準備のマネキン一体 ゆゆゆゆとひとの集まる職場ゆゑ在宅勤務選びて帰る 午後九時をはじまりとして円になり部員四名ラケットを振る 教員生活が描かれる歌を挙げたが

【書評】『初恋』染野太朗歌集

悲しみはひかりのやうに降りをれど会いたし夏を生きるあなたに この歌集を最初に読んでからしばらくが経った。 そう、しばらくが経ったのだが、この歌集に溢れる恋心と夏のイメージが去らない。 むしろ、光は反射し、重なり、より強くなる。 帯の表に挙げられたこの歌に、そのエッセンスは凝縮されている。 「たったひとつの(過ぎた)恋」(いや、主体の中では完全には過ぎていない)、そのワンテーマが一冊を貫く。潔い歌集だと思う。 きみがまたその人を言ふとりかへしのつかないほどのやさしい声で

【一首評】第35回歌壇賞受賞作・次席・候補作品より

『歌壇』(本阿弥書店)にて2024年2月号~4月号までの3ヵ月間、作品評を担当させていただきました。 最終回はちょうど歌壇賞の発表号にあたり、受賞作や次席、候補作品からも何首か評を書かせていただいたのですが、 文字数の関係もあり、残念ながらすべての作品に触れることができませんでした。 そこで今回、一首ずつにはなりますが、掲載された連作すべての評を書いてみたいと思います。 (作品評で取り上げた連作については、誌面で挙げたのとは別の歌を取り上げています) 紙片にも陰のあること 

【書評】『日々に木々ときどき風が吹いてきて』川上まなみ歌集

まず街の静かなことを書いてゆく日記始めの夜やわらかく 歌集の巻頭歌。日記始めであると共に、歌集のオープニングでもある。 「夜がやわらかい」という捉え方が作者自身の柔軟性をも表すようだ。 これから始まる一冊の、その全体のトーンを表現するような一首で、冒頭の歌としてとても素敵だと思う。 この歌集は、教師として働く職場詠や、恋人との関係性が表れる歌、家族の歌など、等身大の生活を静かなトーンで詠う。 身の回りのことや、細かな動作、なかなか捕らえられない何気ない心の動きを描写する歌

【書評】『cineres』真中朋久歌集

来し方も行く末もあるはおそろしく泡だちて寄せる水を見てゐつ 過去も未来もあることが怖いという。 主体は何に怯えているのだろうか。 過去がたくさんあるということは、歳を重ねて責任など重いものを 抱えて生きていくということにもなるだろう。 未来はどうか。行く末があることは明るいことのように思える。 でも、この先どうなるかなどわからない。 わからないのが恐ろしいのかもしれない。 泡立って寄せる水は、海かもしれないし、もっと小さな流れかもしれない。 ただそれをじっと見つめている主体

【書評?】『街とその不確かな壁』村上春樹(小説)

(作品の内容を含みますので、少しでもネタバレしたくない方は ぜひ作品を読んでからお越しください) まず君に伝えておいた方がいいだろうと思うのは、 僕が今、村上春樹の小説『街とその不確かな壁』を読み終えたばかりで、 彼の文体の癖が少々この手紙に影響しているだろうということだ。 最後のページを閉じたのはほんとうについさっきのことで、 まだ彼の文体が僕を内側からほのかな星の光のように温めてくれている。 こんなふうに書くと、君はあるいは心配するかもしれない。 村上春樹の文体を真似

【書評】『やさしいぴあの』嶋田さくらこ歌集

瑞々しく、時にちょっと意地悪。 無敵のようであり、とても弱々しい瞬間もある。 そんな相聞歌で、この歌集は軽やかに幕を開ける。 くちびるに押し込むチョコの一粒がくれる甘さで生き延びている 日曜のまひるあなたを思うとき洗濯ものもたためなくなる 暗闇でわたしに触れた人の眼に卵を孵す静けさがある かきつばたすみれやまふじれんげそう 夏が始まる前に触れたい チョコの一粒は恋の味である。 甘くてビターで小さく愛らしい。 その一粒を口に押し込み、その甘さで今日を生き延びるという。

【書評】『シアンクレール今はなく』川俣水雪歌集

立看もビラさえもなきキャンパスに仔羊の群れ飼われ飼われて この歌集はⅠ章とⅡ章で詠われ方がかなり異なっている。 特にⅠ章は固有名詞も多く、学生運動の時代に生きた実在の人物に強くシンパシーを感じる作者が色濃く出ていることもあり、 詠まれているその時代のことを知らないと、読みにくい部分もある。 私もまさに当時を知らない世代なので、いろいろと調べながら読んだ。 上記の一首は、しかし、もうそうした時代からは遠ざかってしまって、 大学のキャンパスには闘うことをしなくなった学生たちが

【書評】『黒い光 二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後』松本実穂歌集

歌集の副題が示すとおり、本書は当時リヨンに在住していた著者が、 事件の渦中のフランス、そしてその後を見つめ、思索し、歌として形にした歌集である。 歌集と書いたが、本書は歌と共にモノクロ写真が多数掲載されている。 どちらが主でどちらが従というものではなく、相互に影響し合い読者を強く惹きこむ。 二つの表現方法を持つ著者ならではの、個性的な歌集だと思う。 自爆テロはいまkamikazeと呼ばれをり若く死にゆくことのみ似たる 劇場の惨状伝ふる中継の声に重なるイマジンの歌 シナゴ

【書評】『クララとお日さま』カズオ・イシグロ(小説)

(作品の内容を含みますので、少しでもネタバレしたくない方は ぜひ作品を読んでからお越しください) 裕福な家の子供は、AFと呼ばれるアンドロイドの親友を持つ近未来の社会。 AFのクララは店頭でジョジーという女の子に気に入られ、 ジョジー一家と共に暮らすことになる。 「向上処置」のせいで体調の悪いジョジーがもし亡くなったら、 クララをその代わりにしようと心の底で考えるジョジーの母親。 観察眼に優れたクララの目線で語られる物語である。 カズオ・イシグロの作品はいつも衝撃的で示唆

【書評】『一号線を北上せよ』沢木耕太郎(紀行文)

いきなり話が逸れるのだけれど、先日、沢木耕太郎さんの講演を聴く機会があった。 姫路で行われた「第25回司馬遼太郎メモリアル・デー」における講演で、タイトルは「紀行の方法―司馬遼太郎を中心として」というもの。 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』を引き合いに出しつつの、ユーモア溢れるお話だった。 その中で、司馬遼太郎の紀行文のすごいところは、「ただ、今、旅をしている」ということだけで書くのではなく、 歴史の知識など、4つぐらいの層を縦横無尽に行き来しながら文章を書かれているところ、と

【一首評】短歌同人誌「西瓜」第8号(後半)

短歌同人誌「西瓜」第8号、一首評の後半です。 はじめての世界に降るよう金色の火事を起こして橋に散る葉が               とみいえひろこ「瞬く川、感情」 とても静かで、輝いていて、スローモーションのように黄色の葉が散る様を思い浮かべた。 何度も繰り返されている光景なのに、あまりに鮮やかで、まるで「はじめての世界に降るよう」に思われたのだろうか。 初めて世界に、ではなく「はじめての世界」であるところがポイントだと感じた。 世界自体が生まれたてで真っさらであるかのよ

【一首評】短歌同人誌「西瓜」第8号(前半)

年に4回という驚異的な頻度で発行されている同人誌「西瓜」。 同人の皆さんの短歌はもちろん、エッセイや小説など、 様々なジャンルに挑戦されていて、毎号新鮮な驚きがある。 「ともに」という読者投稿欄もあって、とても賑わっているし なにより、前号評ではなく当月評を掲載しているのがすごいと思う。 きっと書いている皆さんは大変だと思うのだけど、読者としてはタイムラグなく評まで読めるのは嬉しい。 今回は「西瓜」第8号から各同人の皆さんの連作一首評の前半部分を。 逝くことのわかりてをれば