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【公開記事】真剣に遊ぶ(特集「みんなで短歌かるた」)(一首評)

結社誌「塔」2022年1月号に「みんなで短歌かるた」という特集が組まれ
その中に「真剣に遊ぶ」と題した文章(一首評+エッセイ)を掲載していただきました。
今回は、その記事を以下に公開します。
(文章の終わりに、追記があります)


【な】
殴ることができずにおれは手の甲にただ山脈を作りつづける
(虫武一俊『羽虫群』 p.11)

【に】
人間の七割は水 小さめのコップ、静かにあなたに渡す
(𠮷田恭大『光と私語』 p.82)

【ぬ】
脱がせたら湿原あまく香り立つわたしが生きることない生よ
(山崎聡子『青い舌』 p.28)

【ね】
願うたび襞を重ねる油彩画のみずうみのよう 来なくてもいい
(笹川諒『水の聖歌隊』 p.28)

【の】
乗り換えの駅のホームの缶コーヒー冬の硬貨をあつめて買えり
(岡本幸緒『ちいさな襟』 p.134)

初めて歌会(と同時に吟行も)に参加した帰り道、ハイテンションなメールを友人に送った。
こんなふうに短歌で遊んでいる人が、日本中にいるなんて信じられない。短歌、すごい。
それまで一人で短歌を作ったり作らなかったりしてきた私にとって、短歌で真剣に遊ぶ人達は驚くべき存在だった。
その仲間入りをさせてもらった今も、世界が一変したあの日の興奮は私の奥深くに灯り続けている。

かるたは古くから短歌(和歌)と分かちがたい関係にあるが、これもまた真剣に遊ぶもの。
全力で取り組んで、上手くいかなければ落ち込んで、だけど「遊びだもんね」と立ち上がる。
そんなしなやかさを持っていたい。

【な】の歌。「殴る」対象は特定の誰かではなく、「おれ」を取り巻く環境のすべてと読んだ。
主体は生きていく上で様々な不安や不満、怒りを感じているが、それを誰かに責任転嫁することができない。
負の感情を自らの内に沈めたまま、攻撃のために拳を使うことなく長い年月が経ってしまったのだ。

【に】の歌。すでにほとんどが水分でできているあなたに、水を手渡す場面。
主体は大切なあなたの「水の割合」が更に増えるとわかっているので、
せめて小さめのコップでそっと渡すのかもしれない。
初句二句があることで、コップを渡すという些細な動作が、ミクロとマクロの両方から迫ってくる。

【ぬ】の歌。一首取り出すと、誰を脱がせるのか判然としないが、湿った肌が甘く香り立つので幼い子供と読んだ。
我が子であってもその生は他者の生であり、自分がいなくなった後も、おそらく続く生である。
そのような他者性を服を脱がせる刹那に感じたのだろう。
もちろん相手はパートナーと読んでもよい。
それでも他者は他者のままだ。

【ね】の歌。冒頭、願いは明確にされないが、それを願うといつも「襞を重ねる油彩画のみずうみのよう」な気持ちになる。
青のグラデーションが浮かぶ美しい比喩だ。
絵筆を使う丁寧な手つきや、油絵の具の厚みも見えてくる。
結句の解釈は難しいが、これがあることで描かれない「あなた」の存在が際立つ。
あなたが来ても来なくても、あなたの幸せを祈っている。静かで懐が深い主体のイメージ。

【の】の歌。「冬の硬貨」の詩情がとても好きな一首。
忙しない移動の合間にホームで買った缶コーヒーはじわっと温かく、束の間、気持ちがほぐれる。
飲み終えた後は優しい眼差しで次の電車に乗り込むのだろう。


この文章は、会員10名のアンソロジー企画で、
それぞれ「ア行」「カ行」・・・で始まる短歌を一首ずつ選び、
一首評やエッセイなどと共に掲載するものでした。
私の担当したのは「ナ行」。
普段、花の歌、鳥の歌、などといった探し方はしても
「なにぬねの」で始まる歌、という珍しいお題で探すような経験はなく、
好きな歌集から「なにぬねの」の歌を探したり、いろいろ歌集を借りて該当の歌を探しながら読んだりと、
当初の予想以上に大変でしたが、とても面白い歌探しの作業でした。

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