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【公開記事】感熱紙だった夏(うた新聞2022年4月号)(エッセイ)

浪人時代、なのでもう二十五年以上前の夏になる。
通うと決めた予備校もドロップアウトしかかって、私は講義をさぼり小さな本屋をぶらぶらしていた。
毎日同じ白紙のページを繰り返しているようで、できることもやりたいこともどんどん減っていた時期である。
いつもの長野まゆみや鷺沢萠の小説ではなく、その日ふと手に取ったのは、すでに文庫になっていた『サラダ記念日』だった。
立ち読みしているうち、私の中にもリズムを持った言葉がどうっと溢れてきた。
早く私もこの閉塞感や無力感を文字にしなければ。

炎天下、『サラダ記念日』と急いで家へ帰ると、一行分しか液晶画面のないワープロ「書院」に、
渦巻く「五七五七七」的なものを入力し、感熱紙に印字した。
すると、ようやく少し息をつくことができた。
得体の知れないもやもやを外に出す技を得たような心持ちがしたのだった。

このとき初めて主体的に短歌を作ったわけだが、その勢いでこの、もやもやを吐き出しただけの代物を清書して、
角川短歌賞に送るという暴挙に出たことは誰にも話していない。
物を知らないというのは恐ろしいことだ。
それでも毎日途方に暮れて小説やFMラジオに逃げていた当時の私にとっては、大きな進展だったのだと思う。

その後思い立って結社に入るまでの間、長らく新聞歌壇やコンテストに細々と応募していた。
振り返ると、当時の私は人の歌を読むことをあまりしなかった。
「サングラス」で始まる歌を読んでしまうと「サングラス」で始まる歌が作れなくなる。
そう誰かに話した記憶がある。それはとても極端な発想だった、と今更ながら恥ずかしい。

自分以外の人の歌を沢山読み、その境遇や表現方法に想いを巡らせることで、己の土壌に種が蒔かれる。
それはやがて発芽し、自分の歌を豊かにしてくれる。
そう気づくのに時間はかかったが、他者の世界を短歌を通して覗くことは、
創作のためという以上に純粋な楽しみであり、私の内側はしんしんと深さを増すのである。

店頭から姿を消すまで私は感熱紙を使い続けていたが、結局それらに印字した歌は徐々に薄れて消えてしまった。
けれど切羽詰まってワープロに向かった、あの閉ざされた夏の日のことは、今も私に強く刻まれている。


このエッセイは、うた新聞(いりの舎)2022年4月号の
「ライムライト」コーナーに書かせていただいたものです。
私の四半世紀以上前の(と書くと恐ろしい)現代短歌との出会いについて振り返りました。
今もあの時に買った文庫の『サラダ記念日』は手元にあります。

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