恋外201906

ひとふで小説|レンガイケッコン(6)


これまでのお話:(第1話)〜(収録マガジン

(6)

 世界を真っ二つに分けたとして、蓮本は虫が平気な人材側の所属であることを自負している。
 あらゆる種類のムシが平気というわけではないし、興味や可愛いげを感じて愛でることもないが、それでも何の気無しに飼育できた程度には平気だ。

 カブトムシ各種、クワガタムシ各種、テントウムシ各種、トンボ各種は幼少期に採集した成り行きで飼ったことがある。尤も、ここで言う「飼った」というのは本格的な昆虫愛好家のそれではなく「子供が想像力の範囲内で知識相応の創意工夫を凝らしながら飼育ケースに捕まえた虫を封じ込めた」だけの行為に、「飼った」という言葉を割り振ってやったにすぎないが。

 郵便局だったか農協だったか役所だったか、忘れてしまったが、どこか官民の間のような空気の建物の中にあった棚に並んでいる各地域の特産品の販促が印刷された払込用紙の中から、どういう事情で売り出されたのか『スズムシ飼育セット』の頒布を見つけて購入してみたこともある。お金を払ったのは、祖母に連れられて行った郵便局の窓口だったように思う。自分のお小遣いから出したのか、祖母が払ってくれたのかは忘れてしまった。小学校低学年だったので一体どうして郵便局でお金を払うとスズムシが家に届くのか理解できなかったが、今思えばどこかの業者がやっている通信販売だったのかもしれない。届け先は祖母が記入してくれたのだろう。
 身勝手に閉じ込めておきながら酷い物言いであるが、一つ屋根の下のスズムシは存外にうるさかった。特に蓮本の父に不評で、祖母と揃って叱られた。採取地と異なる場所での放虫が望ましくないことに考え至らなかった当時の蓮本は、そのまま自宅の庭に逃してしまった。
 スズムシを逃した翌朝「金を無駄にした」と小言を言った蓮本の祖父は、すべてのスズムシが死に絶えるまで不確かな知識のもと“飼育”を貫けばお小遣いを大事にしたと判定してくれただろうか。
 息子に叱られた祖母が「申し込む前に私がお父さんに聞いていれば良かったのに、ごめんね」と謝ってくれたもんだから、蓮本は、自分の親を容赦なく叱る父の態度が、憎たらしく思えた。
 一体、人生のいつまでが「親に口答え」で、いつから「親に忠告」できる立場になるのだろう。蓮本は大人になって親に忠告できる立場になったら「おばあちゃんに意地悪言うな!」と言ってやる、と心に決めた。

 クモに限っては平気を超えて比較的、好きな部類の生き物だ。六脚の虫より一対多いアシについて「パーツが多くてガチャガチャしているところが好い」と思うし、脚部の造形が直列4気筒のエンジンに似ていて、些かはしゃいでしまう。
 ゴキブリも、病原体の運び屋という不潔なイメージや、度重なる住宅への侵入罪からくる嫌悪感こそあるものの、各種のボディカラーだけ見るとそんなに悪く無いと思う。これはカラーバリエーションに限った話であって、全体のデザインを見たらもちろん気持ち悪い。存在もありがたくない。部屋に居て欲しいとは思わない。それでも不気味さで言えばスズムシの造形のほうが別格に思える程度には、これに対する精神的な免疫がある。

 加えて、蓮本の故郷は都市部と比べて冷涼な地域であるため、実物を見たのも上京してからだ。だから、身近な人が怯える姿や嫌がる姿を一度も見たことがなかったせいで、あまり実感を伴った嫌悪感を培う機会がなかった。
 初めての遭遇時などは、それまでアニメや漫画でゴキブリを恐れる人々の描写を見ても今ひとつどういうことなのか分からなかった過去を振り返りながら、なるほど都会の人々はこれを恐れているのかと感慨に浸って、しみじみ眺めたものである。「これがゴキブリかぁ」が、第一声だった。その前日に初めて隅田川を見たときの「これが隅田川かぁ」と大差ない。
 都会の、ちょっとした名物のように思えた。

 本物のゴキブリに遭遇しても深刻な苦手意識は芽生えなかった蓮本は、ティッシュ越しに捕まえて外に逃してやろうと考えてしばらく追いかけてみたが、思いのほか俊敏で生け捕りは難しかった。アニメで見たことのある素早い動きは本当だったのだ。漫画で見掛けるカサカサという効果音が聞こえなかったことは残念だった。
 あるとき思い立って調べた書誌には「ゴキブリは脚力が強い。クロゴキブリやワモンゴキブリは1秒間に50センチも走り、昆虫界随一の走力といわれている。」と記されていた。殺虫剤メーカーのホームページを見たら両種とも35ミリ前後の体長らしい。
(これが正しかったら、体長の十倍以上を一秒で駆け抜ける計算ってこと…?速い…。車が百キロ出すとして、十万メートルを一時間、ろくろく三十六3600秒割って、秒30メートル弱くらい?あってる?…分速1666メートル割ることの秒にして27点777…。28弱、秒速。ボディが四、五メートルの車だとして百キロ出せば一秒あたり進めるのは車体のロク、シチ倍。ふぅん、ゴキブリ、やるじゃない。車は一秒目から百キロ出るわけないから停車からゼロ百加速したとして速い車で三秒前後だけどスピード追求してる一握りが出す数字だし普通は頭数秒でそんなに動けないから…、へぇ。もしも一秒目で大きく加速できるならゴキブリの秒速50センチってすごい、さすが、マエなか後ろ全部搭載全部駆動。超モンスターマシンじゃない。私たちスーパーカーに乗るよりゴキブリに乗ったほうが速いんだ。…………って、…ああ、ダメ…ダメ、ダメダメ。こんな例え話をしたらまた「女脳だと理数に弱いから」って…「乗れるほど大きくなっても同じ数字が出ると思ってる」的な揚げ足を取られるから…。…いや、誰に?…ここには誰も居ないでしょ…。で、でも揚げ足取られるのよ………オバケ、オバケに…です。具体的な誰というわけじゃないけれど、これまで散々取られた揚げ足の記憶から生まれてきたオバケたちが頭の中に住んでいて、頭の中で怒られているんです…。…ちがうんです、ゴキブリに乗ったほうが速いだなんて、私、思ってませんから…乗れるくらいサイズアップしたゴキブリにかかる力はまったく計算に加味していないですし計算しようにもゴキブリの構造も分かっていないので…ってああ嫌、もう、こんなこと考えるの嫌…嫌!無邪気な心とバカな発想のままで私をゴキブリに乗せて加速させて…)

 これを考えた当時の蓮本は、つまり、ゴキブリの速さで自動車が動いたらアクセルを踏んだ次の瞬間に即50メートル以上向こうに着いているようなものという空想上の無駄話を紡いでいた。紡ぎながら、胸中に溜め込んだ積年の不快感と格闘していた。このいたずらな話が、科学に則った検証を省いていることには勿論、自覚的である。
 蓮本は、東京ドーム何個分みたいな与太話にも満たない戯れを、胸中とは言え『成立要件を満たした例え話』のように展開したことについて、誰に聞かれたわけでもないのに深く悔やんだ。いい加減な雑談に科学的な落ち度や検証の欠落はつきものだが、いい加減な雑談の“発話者によっては”それを素直に聞き捨ててくれない意地悪な人…というのが、世間には案外居る。そうした承認の亡者は、いい加減な雑談を捕まえて、“何か言ってやりたい”とか“自分が優れていることを示したい”とか“お前は俺と比べて浅慮だと思い知らせたい”とかいう類の欲に駆られ、突き進むのだ。
 揚げ足を取る輩というのは、専門学校時代の狭い世界から心当たりを数えても片手では足りないし、今も尚、「車が好き」と言えば、車に関する薀蓄やコツを聞かされることは少なくない。それが本物の薀蓄や本物のコツであるかはともかく。
 何の気無しに発した言葉や与太話について延々と、ねちっこく追求されることもある。正確性を欠いた御指導御鞭撻も受ける。
 相手の世界観に於いては、共通の趣味の話題を楽しめたつもりでいるところや、新しい知識を教えてあげたつもりでいるところが、蓮本を更に絶望させた。

 いずれにせよゴキブリの脚は蓮本の想像を絶するほど速く、生け捕って外に放してやることは殆ど諦めるしかないようだったし、そうこうしながら暮らしているうちに「キャッチアンドリリースでは同じマンションの別の部屋に現れてしまうかもしれない」という発想にも辿り着いた。もしかするとムシ嫌いの誰かがおっかなびっくり戦うよりも自分が手短に倒してあげたほうが良いのかもしれなかった。
 さほど苦手ではない虫退治を「無益な殺生」と呼ぶ蓮本が、更に積極性を伴う“無益な殺生”に乗り出した理由は、恋人の速加堅志朗にもある。
(堅さんのために倒していると思えば、この無益な殺生に迷い無し…。お命頂戴。…………まあ、サルモネラ菌とかO-157運んでる虫退治するんだから「無益」ってわけでもないかな)

 堅志朗は、とにもかくにもムシがダメだった。狙いを定めて仕留めるのではなく、恐怖のあまり指は殺虫スプレーのトリガーを引いたまま逃げ惑う。ハエが相手でも、蚊が相手でも、無論ゴキブリが相手でも、部屋の中を一時的に煙幕で満たしたようにしてしまうのだ。
 苦手なものがあるのは仕方ない。本能的な恐怖心を克服させようなんて発想は乱暴すぎると考えている蓮本には、堅志朗のムシに対するリアクションを矯正する要望はなかった。
 ただ、スプレーを撒きすぎた部屋の拭き掃除は手伝って欲しい。というか、贅沢は言わないので、噴射しすぎた場合は拭き掃除が望ましい状況が生じる可能性もあるという発想を持ってもらえたら嬉しい。堅志朗が撒きすぎた殺虫剤の残りを拭いている姿を見て、「あ〜、怖かった〜」ではなく「拭いてくれてありがとう」なんて言ってくれるなら記念日にしたっていい。
 出会い頭に退治するケースで使う殺虫剤は、揮発したら大した時間をかけずに分解される成分で作られているはずだ、少なくとも我が家に常備する程度のものは。それでも噴射した量によっては床が滑ったり家具が濡れたりする。壁や天井から液ダレしているのを見たことは一度や二度ではない。
 併せて、堅志朗がスプレーを撒いた後は必ずと言っていいくらい殺虫剤の在庫が著しく減少するため、蓮本が現場に立ち会っていない場合や散布の事実に気付けていない時は、自発的に買い足してくれたら嬉しいし、買って来るのがどうしても難しいのであれば、せめて使ったことを申告して欲しかった。
 殺虫剤が必要なときに在庫が無くて心底困ってしまうのは、虫が平気な蓮本ではなく、堅志朗自身だからだ。
 自分のケアを自発的に自分で手伝って欲しい。家事だって同じだ、蓮本が家事を頑張ることは巡り巡って堅志朗のケアでもあるのだ。パートナーをケアしないことは、ゆくゆく自分のケアを果たしてもらえない可能性を孕むのだから、自分が可愛いならパートナーをケアするに越したことはない。共同生活を営むなら、絶対にそのほうが合理的なのだ、と蓮本は思う。

 とは言えここも難儀な“生活”の一端で、なかなか望みは叶わない。
 家庭のこととなると途端に鈍感な人格に変身してしまう堅志朗からは、これまでただの一度も、買い足しも、在庫減少の申し送りも、されたことが無かった。無言で理解しろなどとは思わない。ただ、言葉で伝えることを幾度も試みたが好ましい結果は、出なかった。
「私が倒すから心配しないで」
「でももし私の居ない時に虫と戦うことになったらごめんね、頑張ってね」
「虫にびっくりして慌てても、火気がないか確かめてね。約束だよ。殺虫剤はいくら使ってもいいからね。使い切ってもいいの」
「それから、使い終わったら、できれば元の場所に戻してね。あと、缶が軽くなってたら教えてね。買ってくるから」
「虫が怖いままでいいのよ。なんの問題もないことだから。大好きよ」
 たくさん、話してみたけれど。

 ところで、虫を怖がる堅志朗について「男らしくない」と評する人の発想を、蓮本は酷く嫌っている。彼の体と自覚が揃って男性である以上、彼は男の中の男でしかない。彼が男らしくないなどということは有り得ないというのに、一体何が男らしくないと言うのか。
 だからといって「虫を殺せないほど優しい人だ」という評価もよくわからなかった。優しいから殺さないのではない、怖くなければ彼はきっと虫を殺せるのだ。“虫が怖くて殺せない人がある”、ただそれだけの事実がどうしてこうも歪められてしまうのか。
 ちなみに堅志朗は、例外的に蝶々の羽なら素手で持つことができる。蓮本も蓮本で、厳密に言えば蝶々、蛾、芋虫といった柔らかい虫だけは苦手だ。以前、部屋に迷い込んできた蝶を捕まえた堅志朗が近づいてきた時、蓮本は“女みたいな”悲鳴を上げた。何と呼ばれる種類の蝶かは知らないが、“女性向き”とか“レディース”と呼ばれる色柄の布地や小物にプリントされていそうな蝶だったのを覚えている。蓮本は、だから、同じ口で「女は虫がダメ」と「蝶々は綺麗で女性に好まれる」を言う人々のことも信じられなかった。

 慣例・前例・物語・思い込みに影響されて創られた“男らしさ”というもの、たとえば逆境から逃げないとか、多少強引なところもあるけど優しいとか、ドラマチックで情に厚いとか、実はときどき涙もろいとか、どんな時でも女を守るとか、仕事に邁進する背中とか、そういった『“男前”設定』全般を好んできた蓮本だったが、人に対して“その言い方”で好みを伝えたことはない。
 伝える時は必ず「仕事を頑張る人に惹かれる」とか「自分より逞しい体に包まれたい」とか「好きな人からなら、強引なことをされるとときめいてしまう」とか、細かい言葉で説明する。リードしてもらえた実感を得ても、情に厚い一面を見ても、守られていると感じても「男らしいね」だとか「男前」だとか、いい加減なことは言わない。「リードしてくれて嬉しかった」とか「パートナーが優しい人だっていうことを誇りに思うよ」とか「私が過ごしやすいように頑張ってくれてありがとう」と言う。
 これまで評価軸となっていた“男らしさ”も“女らしさ”も“男前”も“女子力”もすべて、時代を追う人々との会話では役立たずに成り果てた時代を生きて、わざわざ古典的な発想にこだわる必要性も薄れてきている。ほとんどの人々がそういう言葉を使っていたかもしれない昔の社会ならいざ知らず。
 虫ひとつ取って考えても、大好きな堅志朗を長いこと苦しめた“男らしい”という呪縛が憎い。
 ゴキブリに怯える男の何が悪いと言うのだ。
(それって「私もムシ嫌いだから彼氏が虫嫌いだと困る」みたいな人にとって、ただの都合の話じゃないの。自分だってできないくせに、苦手だって言ってる人に押し付けてどうするの。二人とも虫嫌いだったらもう、協力して虫と戦うか、虫がほとんど絶対出ないような物件に引っ越す努力をする以外ないじゃない…)
 何もせずに背後から「男らしくない」などと追い詰めた末に守られたところで、何が嬉しいというのだろう。虫嫌いな彼を「男らしくない」と罵って“矯正”した末に得る安住なんて、虫嫌いな彼が自発的に虫退治を試みてくれる感動や、虫嫌いなカップルがお互いのために協力して退治する幸福などとは、質がまったく違うだろうに。
(…なんて思っても、私は虫が平気だから、虫が苦手な人の気持ちをちゃんと分かってあげたりはできないんだけどさ…。結局これも強者の言い分だよね。虫バスター常駐のマンションとかあったらみんな安心して暮らせるのかな)

 さて、いくらムシ耐性があったとして、ティッシュ片手に追いかけてみても埒が明かないことを蓮本は知っている。さすがに素手では倒せない。虫網に代わるようなものもないから捕獲も困難だ。新聞は取っていないから、昔の漫画で見たみたいに丸めて引っ叩くこともできない。スリッパで倒せるかどうかは知らないが、スリッパは汚したくない。

(しょうがない、スプレー買ってくるか…)
 一度家を空けてしまうと見失ってしまうだろうが、殺虫剤無しではどの道できることも少ない。とりあえずスプレーを用意して、また現れたら戦えばいいし、どうしても気になるようなら心当たりに噴射してみれば飛び出してくるだろう。どうせあそこに帰るはずだと思いながら蓮本は、台所の脇にある給湯設備を一瞥した。
 念の為、ゴキブリの表れた部屋以外の戸はしっかりと閉めた。と言っても2LDKなので三部屋も四部屋もある“豪邸”と比べたら大した手間ではないのだが。
 飲食物が出しっ放しになっていないかを確認し、入り込まれては厄介なバッグや洋服の類いもすべて閉めた部屋のほうに移動した。
 帰ってきたらなるべく発見しやすいように、手短に倒せるように。

 手頃なパーカーにデニム地のパンツを穿いて、近所に買い物に出る時だけ使う二つ折りの財布をポケットに入れた。“蓮本チカ”として人前に現れる必要があるときは仕立ての悪くない服に長財布を持つようにしているが、プライベートな“西関井子可”でいられる時間はこれでいい。これがいい。パーカーは中学生の頃に買ってもらったものだ。帽子を被って、マスクを掛けて、履き慣れたスニーカーを履いて部屋を出る。

 三階の巡回清掃に来た東之とバッタリ会ったのは、蓮本がドアを開けた瞬間だった。

つづく

■シリーズの収録マガジンと一覧
「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
 珍しく無料記事として物語を放出している理由は、今のところ「日常の空き時間に、細かいことは何も考えずに、ちゃんと終わるかどうかもまったく分からずに、勢いで作っているから」という、こちら側の気の持ちようの問題です。(他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありません。)

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)