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”どん底”に感謝。

こんなことを言っていいかわからないが、精神疾患を患って「よかった」のかもしれないと思い始める、今日この頃。

何がよかったか?

精神疾患になって”どん底”に落ちた経験がすごく今に生きている。

あの絶望的な”どん底”を経験してなかったら、今こうして恵まれた生活はしていなかったに違いない。

どのくらいどん底を味わったか?

それは定かではない。

ただ、何度も死にかけたのは確か。

今思えば、「よく生きてられたな?」と感心するよ、本当に。

わたしがこの世にいられるのは本当に奇跡だと思う。

運が良かったのか、神の思し召しか知らないが・・・。

まあ、あの"どん底"からこうして浮上できたのは何かしら「この世で成す」ことがあるのだろうか?

そんな気もする。

何はともあれ、ここ十数年をかけて”地獄の底から這い上がる”ことができた。

その”這い上がる”過程はかなり困難を要した。

怖い精神科医の先生に「病気」と診断。

クソまずい薬を飲むことから始まり、無限地獄か牢屋のような閉鎖病棟に入院。

退院後、薬の副作用なのか、病気の症状なのか、なんだかわからないけど日常生活が非常に生きづらかった。

病気の影響で認知機能はどん下がり。

自分が自分じゃないみたい。

もう、廃人のごとく。

志望していた学校には行けず、行く意義の見出せない高校へ通う学生生活。

自分に理解のない家族、友人、周りの人たち。

父親なんて「病気のふりするな」とか「お前が弱いから病気になった」だの好き放題言いやがる。

母親は病気を持った子供の対応に四苦八苦。とても頼りにならない。

頼れる人は周りにおらず、学校の先生からは「頭のおかしい子供」扱い。

友人からは「キチガイ」だの「犯罪者予備軍」だのよくわからないレッテルを貼られる。(まあ、そんなこと言うやつとは縁を切っているが)

要は社会のお荷物、厄介者、落伍者みたいに扱われた。

自分は一生「精神疾患を患ったやばい奴」という烙印を押されて人間以下の存在なのだと心から思い、涙が溢れた。

そんな状態で数年毎日「消えたい」とか思いながら過ごした。

「死にたい」というより「消えたかった」。

だって誰にも必要とされないから。

周りに迷惑しかかけられないから。

そんなんなら、こっちから消えた方が潔いのではないかと強迫観念に駆られた。

何度、希死観念を抱いたことか。

それでも、最後の一線は超えなかった。

いや、超えられなかった。

今ではその一線を超えなくてよかったとおもう。

当時の自分は「超えられない自分は意気地なし」と自責感情に襲われたけど。

まあ、それからも嫌なことは何度もあった。

ありすぎてちょっと思い出せない。

とにかく口に出すのも咎められるような出来事ばかり。

うん、大変だった。

でも、状態の安定した今だから思う。

この経験が今すごく活きていて、今の生活を支えている。

この辛い経験があるから、並大抵の出来事に動じなくなった。

差別を受けたから、多様性を受け入れられる。

能力が足りないから、努力して能力を向上させた。

寂しい思いをしたから、人付き合いができるようになった。

要は今の自分ができあがるきっかけはすべて”どん底”からうまれている。

”どん底”がなかったら、今の自分は存在しない。

あのどん底からわたしは生まれたわけだ。

良かったよ、本当に。

少しは感謝の念も出てくるってもんだな。

わたしを産んでくれて!


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