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島にあったコロナのいい影響

こんにちは。
「人生は所詮、思い出づくり。」いえしまコンシェルジュの中西です。
大阪から瀬戸内海の離島家島(人口2500人)に移住し、観光ガイド、特産品の企画販売や空き民宿を譲り受けてうみのいえの運営、カフェの運営をやっています。

いくつか人が集まる場を持っているので、コロナの影響は大きく、うんうん言いながらずーっとコロナのことを考えています。
僕を含めて世の中で「コロナがあって良かった~」って言う人はほとんどないと思うんですが、この家島でひとつありました。

この春、大阪の大学に進学した島の子。授業は全部オフラインになった。
大阪にいてても仕方がないので、実家に帰ってきた。
家では時間があるので、おじいちゃん・お兄ちゃんがやっている家業の漁師を手伝うようになった。
手伝っているとちょっと面白くなってきて、もっとこうしたらええんちゃうかと改善点なんかも考えはじめた。
これまでは、大学卒業したら「うーん漁師ってなんかなあ。やっぱり都会で就職かなあ」と考えていたけど、実際にやってみたことで「漁師おもろい。魚が減った減ったって言われてるけど、それ以上に漁師も減ってるから結構いけるんちゃうかな」と言い出した。
おそらく彼は漁師としてこの島に戻ってくるはず。
コロナよ、気付きを与えてくれてありがとう。

この話、実は本人が友達と一緒に僕のところに話をしに来てくれた。
さらに「獲れ過ぎてお金になれへん魚、なんか特産品とかにでけへんかな」「これから、どういう勉強したらええかな」「養殖とか可能性ないかな」と具体的な相談まで。
僕が知っていること・考えていることを伝えるとかなり喜んでくれた。
「オレらがこういうこと言うても、周りの大人はあんまり乗ってくれへんねん」と。
どうやら、周りの大人は小さい時から自分のことを知っているから「まだまだ甘い子どもの考えやなあ」とか「そんなんうまいこといけへんわあ」と、否定的な意見も多いそう。
それを聞いて「島への熱い思いを持っている島の人ってほんまに多い。でも言うだけの人も多くない?それって一番ダサい。言うだけでは何も変わらんねんで。君たちはそうなったらアカン。できるかどうかわからんけど、何でもやってみないと」と偉そうに言っておきました。
彼らは「こんな話ができると思えへんかった。よかった。また話に来るわ~」と言って帰りました。

「島の人とは違う価値観を提供できるのが僕の価値」だと思っているから、こんな相談をしに来てくれたことが何より嬉しい。
このために今まで10年間、この島でいろんな思いをしながらやってきたんだと、何か報われるような気持になりました。
彼らをエンパワーメントする意味でも、何か形になるものを一緒につくりたいと思っています。

いえしまコンシェルジュ 中西和也

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