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父の他界とセレモニーに救われた話

先日、一周忌の法要が済んで喪が明けた。父が他界して、気がついたら1年が過ぎていた。長く別に暮らしていたから生活の中に喪失感はなかったが、実家に帰るとやや物足りなさを感じる。

2020年-2021年の年末年始、父はずっとソファの上にいた。食事が喉を通らず、数か月間水分だけで過ごしたその体は骨と皮だけになっていて、トイレ以外は居間のソファで寝ていた。それでも話はできたが、それから半月ほどで亡くなった。

身内の不幸になれていなかった僕たち家族は慌てた。人が亡くなった後の段取りがまったくわからなかったのだ。主治医から長くないことは伝えられていたが、生きてるうちに葬儀などについて調べることは道徳に反する気がしてしなかった。

病院で医者から死亡が告げられたあとに、僕がスマホで調べた葬儀屋に来てもらった。彼らはスムーズに遺体を病院から運び出し、葬儀会場を手配し、僕たち家族の情報を聞き出し、今後の意向を確認した。宗教や宗派からはじまり、通夜と葬儀の日程、参列者の人数、食事や飲み物の用意など多岐にわたる。僕たち家族は質問に答えるだけでよかった。ありがたかった。

この時は心身ともに疲れきっていたが、たくさんの検討事項や作業をこなした。暇な時間があると父のことを考えてしまい、悲しみに襲われていたと思うので、やることが山と積まれた状況に救われた。喪主は実務能力のない母だったので、僕には施主という肩書が与えられ、母の代理で働いた。

そして通夜と葬儀はあっという間に終わった。骨になった父と帰宅して、ようやく一息ついた。

その後、実家では母が仏壇を買い、納骨堂を契約してお寺さんとの付き合いもはじまった。我が家は『浄土真宗本願寺派』で北海道という歴史の浅い土地柄もあり、お寺さんから堅苦しいことは言われない。なので、行った宗教儀式も初七日法要、四十九日法要と納骨、初盆、一周忌と最低限にした。(法要のフルコースがわかってないけど感覚的に最低限)

この経験で宗教への興味がわき、浄土真宗本願寺派について本を読んでみたりした。出口治明さんの『哲学と宗教全史』も読んだ。どちらも知らないことばかりで、とても面白かった。

以前は宗教をうさん臭く感じていた。僧侶の話は非科学的で説教臭いし、あらゆる手続きが苦手なので冠婚葬祭のセレモニーも好きじゃない。自分の人生には不要なものだと思っていたが間違いだった。感情の処理が追い付かない時に人はセレモニーによって癒されるのだと知った。

今後も宗教に傾倒することはないが、効能を理解できたので、うまく付き合っていきたいと思う。

葬儀の時に僧侶が「故人は最後に"人は死ぬものだ"ということを身をもって教えてくれた」と話してくれた。身内の死は悲しいが、そこから得るものも大きかった。

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