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生きづらさのことを話そう 〈気になってもいい〉

 原井宏明先生の強迫症に関する本が、わかりやすくて好感が持て、これまでよく読んでいました。
原井先生の『醜形恐怖症』という本を、最近知ったので読んでいます。

わかりやすくて支えになってくれます。気になる方は手に取ってみてください^^

醜形恐怖症
他人が客観的に見ても、それほどの欠点はないのに、本人が「自分は醜い」、体のある部分が「人より劣っている」「おかしい」などととらわれて苦しむ心の病気。「醜い」「他人から嫌がられる」などの強迫観念と儀式・回避のために、人間関係や日常生活に支障をきたす。

「図解いちばんわかりやすい醜形恐怖症」著:原井宏明 松浦文香 より


醜形恐怖症
は、見た目を過度に気にして、誰もがする行動を過剰に反復してしまう病気、だそうです。(鏡を見る、メイクなどの行動)
また、醜形恐怖症は強迫症とよく似ているとのこと。強迫症の症状は多岐に渡り、醜形恐怖症は強迫症のグループの中のひとつとして位置付けられているそうです。
顔・体・髪の毛など、気になる部分はさまざまで、共通しているのは一点に集中して体の特定の部分が気になること、また18歳までに大半が発病するとのことです。

自分の外見に自信がない人の方がずっと多いかと思うし、自信が持てないまま、多少気にしながら過ごしている人はたくさんいると思います。
でもそれが、気になってどうしようもない、日常に支障をきたしたり不登校やひきこもりになる、という程度になるととても苦しいだろうと思います。気になって外出できないとか、整形しないではいられないとか。
私自信のことを言えば、歯並びが気になって笑うときなどいつもなんとなく気にしながらきたので、そういった感覚がもっとひどくなったものと思ったら想像することができます。
 醜形恐怖症があることで、人と一緒に食事することができない会食恐怖となったり、対人恐怖症社交不安症となる方もいるそうです。


小さなことで気分は変わるもの。
きれいな景色にハッとしたり、人の優しさに触れてこころが動いたり。  
だからそう思っていよう。



いろんな気がかり

「鍵をかけたっけ?」「本当にガスを消した?」に代表される、
いろんな小さな気がかりや心配。
私も今もあるあるです。
いろんな気がかり、心配ごととやりくりしながら毎日暮らしている。
気になるけれど折り合いをつける。自分の内側と仲良くするような感じ。

強迫症の方、不安・心配が強い方はそういう人が多いかもしれないけれど、私は「はっきりしない」「わからないこと」が苦手。不安が解消ができないときのモヤモヤ、落ち着かなさ、苦手だな〜といつも思う。
10代の頃、心気症のような感じがあったけれど、今も体の小さな異変があると“病気だったら?”と、たぶん人より不安になりやすい。
けれど、今のそういう気がかりは40代の私にとっては強迫症の症状というよりは現実味をおびているような感じ。10代の頃より病気が出てくる可能性は現実的に高いから。
ただ、調子が悪いかも?でもはっきりしないから様子を少し見てみよう、とかスッキリしない状態はとても苦手な方と思う。
でも、そういうときはモヤモヤはあるままに、過ごしている。(もっとはっきり体調が悪かったら病院に行ってみるなどする)

※心配や不安の感情が出てきたとき、私の場合は追いやらず紛らわせずに、じっと感じてみる。不安だなぁ〜って。
無理せずそのつど少しでもそういう時間を確保する。呼吸を意識したり、ゆっくりと呼吸してみるとわりと落ち着いてきたりする。
私はホ・オポノポノが好きなので、自分の内側に向けて「ありがとう」「愛しています」などの言葉をこころで呟くこともしています^^



少し前にやっと観に行くことができた、「君たちはどう生きるか」。
決して明るくないけれど好きな映画だった。
すごく個人的な感想は、食事をするシーンがこころに残ったということ。この世界じゃない世界に住む人も、すごい力が使えるような人も、ご飯をきちんと作ってしっかり食べて、ありのままのその人をしっかり生きていた。誰かのためにご飯を作ったり自分のために作ったり、食べて眠って生活して毎日の営みを誰もが繰り返している。
この映画の登場人物たちを見ていたら、ご飯を食べるために生きているのではなく、自分を生きるために食べている、そう思った。
それから、私はこの漫画はまだ読んだことがないのだけれど、主人公が「君たちはどう生きるか」の本を手にするシーンが好きだった。