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ナンバーガール@野音(音漏れ)観戦記

ナンバーガールが復活した。


17年振りだという。中尾健太郎28才という不思議な名前を名乗っていたベーシストは、中尾健太郎45才になっていた。

中尾健太郎歳取るんだ、なんじゃそりゃ、と思ったけど。

どうしても、どうしても、自分はその復活の現場にいたい、と思った。

ナンバーガールを聴いていた当時の自分からは考えられないことだけど、今の自分には嫁もいるし、子供もできた。昔に比べると、気軽にライブなんか行けない。

でも、自分の人生の中で、昨日という日は「必ずその場にいなければならない」日だと思ってた。復活することがアナウンスされた半年前から。


もちろん、チケットは欲しかった。でも、もちろん、瞬殺で売り切れた。

でも、自分は「必ずその場にいなければいけない」と思ったから、漏れた音を聴きに行こうと思った。

だから、好きな音楽が三代目系統である嫁に、ナンバーガールのナの字も伝えずに野音に行きたいと伝え、了承を得た。私が嫁にお願いすることなんて滅多にないからか、特に深く聞かれなかった。そんな嫁に感謝しながら、私は日比谷に向かった。

途中、日比谷通りのミニストップにスーパードライを買いに立ち寄った。お酒飲みながら聴きたかったから。そしたら、休日のオフィス街にはあるまじき若者の行列が。みんな、片手にビール、片手におつまみ。みんな、考えることは一緒。その時点で、私の涙腺は若干ゆるんだ。


日比谷野音の前に到着。

たくさんの人たち。チケットを持ってる人もたくさんいたが、公園の地べたに座る人も多数。私と同じく、チケットを入手できず、でも居ても立っても居られず日比谷に来た人たち。

公園内を移動して、ステージの右側の音漏れスポットに到着。

ここにも多くの人たち。シートを広げてナンバガの雑誌を読む人、写真撮りまくってる人、酒飲んでる人、タバコ吸ってる人。

今か今かと待ち構えた、長いようで、短くて、長いあの時間。


開演の18時。まだ始まらない。セミの鳴き声が耳にこだました。ちょっと涼しい夏の夕暮れ。

5分ほど過ぎて、テレビジョンのマーキームーン。そういえば、SEこれだったな、と思い出す。客席からは大歓声。


1曲目が始まる。

みんな、じっくり聴いている。みんな思い出してる。17年前と令和の時代を頭の中でグラデーションかける。この瞬間が現実であることを噛みしめるように。


2曲目、3曲目、テンポ上がってく。音漏れ勢、揺れ出す。


代表曲のOmoide in my head。「ドラムス、アヒトイナザワ」の掛け声から弾けるギターの音、声援を揃える音漏れ勢。みんながひとつになってく感じ。みんなが夏の風景になってく感じ。今思えば、たくさん足が蚊に刺されてた。

もっと感慨深くなるかと思ったけど、遠くから聞こえる向井の歌を聴いてたら、それどころじゃなく、ただ楽しかった。


透明少女。このギターのイントロをどれだけ聴きたかったことか。生で。テンポが速い。桃色作戦という言葉はこの曲で覚えたなーと思い出す。この曲でしか使ったことない言葉だけど。


Tattooあり。右肩!刺青!

田渕ひさ子のギターソロ。日比谷の夜を切り裂くジャズマスター。この頃にはあたりは暗くなっていた。やばい、青春すぎる。



私には中学生時代からのナンバーガール好きの2人の友人がいて、2人とも今ではママになってるんだが、その2人に向けて会場の様子を伝えようと、グループラインでライブ中ずっとセットリストを送り続けていた。ここら辺で、私は「ヤバい」としか書いていない。


イギーポップファンクラブ。その時点でまとめサイトに「日比谷のコンビニから酒が無くなった」という記事が出てたのに、私の目の前にいたグループは大量の酒を何処からか調達していた。

みんな酒を飲んでいる。フラフラ歩きながら、「記憶は妄想になっていく!」と大声で叫ぶ男性。1人で日比谷公園に来て、静かに曲を聴いている女性の姿も。なんだろう、不思議な同士感。他人なのに、他人とは思えない感覚。


Omoide in my headはこの日、アンコールで2回目の演奏。1回目はじっくり聴いたけど、2回目はみんな跳ねてた。楽しい。楽しすぎる。この時間を同じ空間で過ごせる、幸せ。

トランポリンガール(新・旧)を演奏し、メンバー紹介して、「乾杯!」で締め。


帰りながら、自分の頭の中はぼんやりとしていた。大人になってライブに行くこと自体も久しぶりだったけど。

実際に本人の姿は一度も見えていなかったのに、同じ空間に入れたというだけで、自分は満たされた。今日ここに来る、という判断をして、自分ながら正解だったと思った。嫁に感謝しかない。

それにしても、ロックに溺れるということは、自分の人生をこんなにも豊かにしてくれるものなのか、ということを再度認識できた。音楽って、実態として目に見えないのに、こんなにも人の気持ちをゆさぶれる。

あと、同時代性を持てる。あの日、ナンバーガールのライブをもう一度見たいと思ってた人もあの場にいただろうし、ナンバーガールを解散後に知った人もいただろう。私はナンバーガールは現役の時から知ってはいたが、なにぶん高校生くらいだったのでお小遣いも少なくフェスにも行けず、ライブは見れなかった。

そんな人たちが復活する空間にいられた。

音漏れ勢は、チケットが取れなかった人たちだけど、それでもナンバーガールの曲が聴きたい、楽しみたい一心で集まった人たち。

そんな人たちと一緒に2時間ばかしの時間を過ごせて、自分はどんなにか豊かな時間を過ごせたか。


みんな、どうもありがとう。


ナンバーガールの歴史は続いていくらしい。自分も、その歴史に続いて行きたい。


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