見出し画像

第9話 日本では政治は批判の対象であり、期待や応援の対象ではない。

どこの国でもそうだが、国家に危機的なこと、戦争とか、疫病とか、災害とか起きると、政権の支持率は上がるものだ。

ところが、この日本では逆に下がる。

これは、日本人が、政治に対して、なんの期待も応援もしていない証拠である。

日本では、右派や保守派を除いて、政治とは監視の対象であり、批判の対象だけであり、期待や応援をしていない。

なぜか、そもそも日本人は政治に何かを期待する前に、何をしてほしいのか、いっさいビジョンを持っていない。持っていたとしても、平和な世の中にしてほしいとか、生活が苦しいので何とかしてほしいとか。
そんなあやふやなものばかりである。一般国民ならそれでも良いだろう。

ところが専門家や評論家までもが、あやふやのビジョンしか持ち合わせていない。専門家というなら、政策というのは、法案レベルにまで落とし込んでほしいものある。そこまでしてはじめて、実現可能性が議論され、国民も乗ってくる。

また日本人は本来、保守的で、選挙で誰を選ぶかという問題は、「誰なら自分のビジョンに近いか」というより、「誰なら無難か」で決めてしまう。

要は政治に対して、主体性がないのである。本来、民主主義国家というのは、国民の一人一人が考え、力を合わせて作り上げていくものである。その代理人が政治家である。
ところがその概念がないので、社会は与えられるものと思っている。
与えられるものだから、しっかりやってもらわないと困ると思う。そして批判的になる。

批判が悪いと言っているわけではない。批判は必要条件であり、十分条件ではない。
また、期待の裏返しが批判であるべきであって、期待もないのに批判のための批判をしていては、いつまでたってもよくならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?