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旅するわたしたち

窓を閉めてから半年が経とうとしている。

半年。もう半年も、わたしはこのまま。自己嫌悪と無力感で潰れそうな日々だ。

ネイリストさんや美容師さん、その他知り合いに、仕事のことを訊かれるのが心底つらい。世間話のつもりなのだろうが、「まだ休憩中で〜す」なんて軽口を叩きながら、いつも胸の底からはひやりとしたものが湧き上がる。

主治医や周りの人たちは「ゆっくり休むべき」と言ってくれるのだけど、この状態にどっぷりと浸かるのは間違いだということは、誰に言われずとも分かっている。

実家に帰るなんてこともできないので、きっとどうにか自分をごまかしながら労働に勤しむのが最良なのだということも。

分かってはいても、すごくすごくこわい。

そのことを考えるだけで、泣き出したくなるほどの不安に襲われて、目や声を思い出して、ごめんなさいという言葉が口をついて出る。なにもできなくなる。栓がゆるんでお湯がすっかり抜けた浴槽のなかからも出られなくなる。

好きなことをしていても、楽しいのだけど、常に罪悪感と焦燥感がある。

がんばって仕事をしている人はほんとうにえらい。心からそう思うようになった。仕事だけでなく、当たり前の家事さえ、エネルギーを消耗するものだから、やれたらえらい。

これを読んでいるあなたも、毎日すごいしえらい。できないわたしが言うのだからほんとうだ。わたしにできないことをあなたはできる。えらい。



こんな、きっとなにも知らない他人から見たら贅沢三昧の、なんの意味も成さない日々のなかで、ぽつんとひとつ、やりたいことが頭に浮かんだ。


ここまでは暗かったけれど、わたしが描いてしまった下手くそで明るく愉快な愛のある夢を聞いてほしい。

お店をやりたい。ひとりで。

あまり背の高くない本棚を、壁一面に置く。自分の持っている本、つまり小説や漫画を、ぜんぶそこに収納する。そこにあるものは好きに読んでいい。ただし、あくまでもわたしの大切な私物なので、持ち出しは禁止。読みたいときに読めないのは嫌だし、わたしは巻末に読んだ日付をメモしているので、なくなっても買い直せば解決というわけにはいかない。でも、みんながみんな小説を一気に読めるとはかぎらないか。

ただあまりにも採算が取れないので、1冊ごとにワンドリンク?と思ったが、それで商売になるわけがない。両親はケーキ屋を6、7年ほどで畳んだが、わたしのなんちゃって私立図書館は半年ともたないだろう。

それでも夢はささやかにふくらむ。買い付けてきたとびきりかわいいアクセサリーや、幼馴染みのイラストやグッズを置いたりもしたい。

うるさい学生たちが来たら最悪なので、グループでの入店は最大ふたりまで。ふたりならギリギリ小声で話せるだろう。

こんなゆるい謎のお店で生活していけるわけがなく、たとえばお金をめちゃくちゃ稼いだあとに社会のレールを降りてひっそり趣味としてやるとか、玉の輿に乗ったあと日々の張り合いのためにやるとか、もうそんなレベルだけれど、やれたらいいなと他人事のように思う。

わたしはお客さんに必要以上に干渉しないし、お客さんもしてこなくていい。でも、したかったら、すこしだけならしてもいい。

苦しくて苦しくて、現実をこれ以上生きられないと嘆く誰かが、安心して物語のなかに逃げ込める場所をつくれたらいいと思う。子どもでも大人でも男でも女でも関係ない。わたしの好みとはいえ、壁一面の本棚にぎっしり詰め込めば、1冊くらいはきっとその人にやさしい本があるし、そういうときって大抵、必要なものを選ぶようにできている。そしてそれは、その物語にその人自身が選ばれるということでもある。

人は読書をすることで、何も損なうことなくふたつの旅ができるとわたしは思う。ひとつは自分の知らない誰かの人生を併走する旅。もうひとつは、果てしなく続く自分の内面への旅だ。

わたしはこれまで、すがるように物語にのめりこみ、音楽を聴き、言葉を殴り書く人生を送ってきた。誰が笑おうとも、わたしにはそれがどうしても必要だったし、だから今のわたしがいる。そして、きっと似た人がどこかに必ずいるはずだ。

いま泣いている人に何者でもないわたしが何を言ったって、きっとその人の痛む場所を覆うことはできない。だからせめて、わたしが心を震わせた物語を。わたしがあまりの歓喜に涙を流した物語を、誰かの手の届くところに置くことができたらと、そう思った。

なにもできない人間の、おえかきみたいな空想でしかないけれど。

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