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大人になること、子供であること―—岸政彦『図書室』

『図書室』

理由の分からない遊びに没入してしまうことがわたしにもあった。
そしていつの間にか大人になっていき、わたしは遊びに対して没入できなくなっていた。「これは遊びなんだ」と引いた眼で自分を見ているもうひとりの自分が隣にいるのである。

歳を重ねるにつれて学校や人間関係の中でわたしたちは理由を求められるようになる。「なんでこんなことしたの?」と親や先生にとがめられ、そのたびに自分でも分からないような理由をとりあえず作って器用に生きる方法を学んでいく。そうした中でわたしたちは「意味のなさ」を無駄なものだといって「大人になること」と引き換えに切り捨てていく。


子供の頃のごっこ遊び。没入してしまっていつのまにか「ごっこ」じゃなくなってしまったという経験がある。それは子供の頃に置いてきてしまった感性なのだろうか。あの頃置いてきた感性を拾いにいきたい、まだ間に合うだろうか。

『給水塔』

他者の人生に惹かれたり、着飾っていないそのままのリアルに揺れ動かされることがある。わたしたちはいろいろある人生において、それぞれいろいろな人と出会うが、いつの間にか連絡しなくなったりその人の名前を忘れてしまったりして、そうしたものごとは自分の人生から消えてしまう。
建物も同じだ。働いていたバーは無くなり、住んでいたアパートも無くなる。バーでジャズの生演奏を聴きに来るカップルももういない。しかし記憶だけは残る。
時代の流れによって街も人生も変わっていく。その中でふとした瞬間があって、振り返ればその瞬間が今の自分を作っているんだと思えてくる。この本を読み終え、こうして書評を書いている今この瞬間も自分を作っているのかもしれない。

自分を貫くというのは自由になるということで、危険なことで、孤独だ。自分がいかに自由に生きていないか、家族やさまざまな周りの目に動かされているか岸政彦さんの文章を読んでいるといつも感じさせられる。自分を貫くということは危険で孤独だけど、自由になれる。恵まれているとは言いがたい境遇でもその中で自由を見出して生きる人を見てなんとなく憧れてしまうのである。

『図書室』が大人になることの物悲しさを描くとすれば、『給水塔』は大人になってわかる重層的な世界、ポリフォニーな世界を描いているように感じる。大人になるということは悪いことではない、しかし子供のままでいることも悪いことではない。社会に出なさいと自立することが求められる年齢になってしまった私にとって、ひとまず立ち止まって生きるということを考えさせてくれる本である。大人になりきれず、かといって子供でもない、そういうもどかしさを抱える人に読んでほしい。

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