【ショートショート】世界1000文字前仮説

「一ノ瀬、世界5分前仮説って知ってるかい?」
「実はこの世界はたった5分前に作られたばかりで、これまでの人生もその記憶も5分前までは存在しえなかった、とかいうやつですよね」
「そのとおりだ。私が今、そんなことを言い出したら、君は信じるか?」
漆崎先輩は確かめるように僕を見る。
「理論上、否定はできませんが、信じるのは無理ですね」
「どうして」
「僕は先輩のことを信用していませんから」
「辛辣だね。じゃあこれならどうだ?「この世界はたった224文字前に作られた」」
「さっきと何か変わるんですか?同じ意味の問いに思えますけど」
「変わるね。だって君は小説を書くだろう?小説を書く時、そこには元々、何もないんだ。ただ果てしない、荒野とも呼べない「無」があって、そこに物語が作られる。そこには明確に始まりがあるわけだ。媒体が本であれば文字数やページ数で、動画であれば再生時間で、どこかにゼロを規定できる。今私は無根拠に224文字と言ったけど、これが仮に小説で、高次元な世界に作者がいるのなら、私にそんなセリフを計算して言わせるなんてこともできそうだろう」
「馬鹿げた話ですね。だとしたら、僕の感情も言葉も全て誰かに決められているってことですか?」
「そうなるね、仮説通りなら私も」
漆崎先輩はこういう仮定の話をよくするけれど、今日は少し様子が違う。学校のチャイムが鳴る。おそらく最後のチャイムだろう。普段は帰り支度をするけれど、今日はまだここにいよう。夕焼けは暗いけど。
「この肉体も精神も、その行く末も全てが作者の思惑通り。それが運命だとするならば、それに抗うすべなんてない。ただ受け入れることしかできないんだ」
漆崎先輩の手は震えていた。態度はいつも尊大だけど、先輩の手は小さい。自然と僕は手を重ねていた。振りほどかれる様子はない。
「だとしたらこれも、運命なんですかね」
言って僕は夕空を覆う隕石に目を向けた。足元のラジオがあと1分と騒いでいる。チャイムはもう鳴らない。僕たちはどちらからともなく唇を重ねた。隕石が衝突するまで、残り50秒。
「こんな時に屋上に来るなんて本当一ノ瀬は物好きだ」
「ここから見る夕焼けが好きだったんですよ」
「今日は見えないけどね」
「いいんです。先輩に会えたから」
「やっぱり君は物好きだ」
先輩は最後にくしゃりと笑った。隕石の衝突先がこの街だったからこの街には他に誰もいない。隕石が衝突するまで、残り1秒。

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