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【エッセイ71】達成感とやる気の関係

私は仕事が少ないとやる気があまりでない。
やる気がないからといって、やらないわけにもいかないので、きちんと仕事はこなすんですが。

逆に仕事がたくさんあると、やる気MAX、オリックスになる。
仕事の内容にもよるけれど、基本的に忙しい方がアドレナリンが出るようで、テンションは上がる。

私はたぶん、子どもの頃からそういう人間だった。
2歳ぐらいから小学六年生まで、公文に通っていたんだけれど、夏休みになると母の実家に帰省するので、宿題をいっぱいもらって帰るんですよ。
すると……

やった!やることがたくさんある!やるぞ!
という気になり、「一日目にどれだけできるか」という自分の限界との戦いが始まる。
二日目からはもう量が減っちゃってるんで、一日目のモチベーションは消えてなくなっている。

この話をするとだいたい変な目で見られる。
宿題多い方がやる気出る人っていないの?
同志にはまだ出会ったことがない。

しかし、最近なんとなく分かってきたのだが、これはやることが単純であるものが良い。
何件こなせたかなど、数で私が判断しているからだ。
数が多いと達成感がある。
達成感を得られるものが私はどうやら好きらしい。

そういえば、今書いていて思い出したけれど、ゲームなんかでもそうだった。先が見えるようなものはあまり好きではなくて、面が大量にあるやつとか、レベルの最大値がめちゃくちゃ高いやつを育てるとか、限界がないやつが好きだ!

子どもの頃、母に勧められて読書記録をつけていたのもそうだ。
何冊読めるか、という部分で達成感を得ていた。
ちなみに読書記録は今でもつけている。デジタルとアナログの両方。
一時期デジタルのみになっていたが、アナログの方が目に見える感じがするので、アナログを再開した。

やっぱり昔からそうだった。
とにかく数をこなしたいらしい。

だから芸術的なものが好きなのかもしれない。
限界とかなさそうだから。
人によって無限に作品世界が創られるし、追及したければどれだけでも追及できるものだから。

例えば短距離走なら、50mを人類がどう頑張っても3秒で走ることは無理である。そういう感じ。
だって人類の限界ってあるじゃないですか。

陸上は、コンマ何秒を縮めるという世界。
私には到底頑張れそうにない。しかも足遅いし。学生時代、50mを10秒とかで走っていた(え)。
瞬間的には走れるけれど(フットサルとかバスケは好き)、ただ走るためだけに走ることは苦手。

これは自分の得手不得手にも関係してくるから、人によって感じ方は全然違うと思うのだけれど。
決して陸上競技をディスっているわけではない。私が苦手というだけで、陸上やってる人は本当に凄いと思っている。

反対に芸術系のものって限界が自分で分かりにくい(私だけ?)。
芝居もそうだし、小説を書くこともそう。
限界が見えない。だから楽しい。

芸術って数値化しにくいし、多様性がある(と思う)。
人と比べる機会もあまりないしね。
そういう点が私には合っているように思う。

自分次第で、無限に作品を創ることができる。
限界がない。

限界がないものが好き。
達成感を得たい。

おそらくこの二つが、私を変わったやつ(仕事が多い方がやる気が出る変人)にしているのだと思う。

さて、小説を書こうか。









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