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クリープハイプが嫌いだった話


 私はクリープハイプというバンド、並びにフロントマンを務めるボーカルの尾崎世界観が大好きだ。しかし、私がそう思い始めたのはこの1年くらいのことで、それまでははっきり言ってクリープハイプというバンドが嫌いだった。今となっては恥ずかしい話だが、自戒の意味も込め、なぜ私がクリープハイプを嫌いだったのか、その理由を書き連ねていこうと思う。


 初めてクリープハイプを知ったのは2013年、時期は忘れた。普段はNHKが流れている朝のテレビに、なぜかその日は民放の情報番組(ワイドショー?)が映っていた。普段母は朝に民放なんて見ないのに、おかしいなと思いながら寝ぼけたまま見ていると、急に流れてきた「憂、燦燦」。当時中学2年生のロックンロールを覚えたての私に、ボーカルのつんざくような高い声とサビのキャッチーなフレーズ、そしてまだ青臭かった私には到底理解することもできない抒情的な歌詞が私の心臓に突き刺さった。尾崎世界観のように野球で例えるとするなら、犠牲フライ時に外野手のバックホームが寸分の狂いもなくホームベースのキャッチャーミットに入り三塁走者を刺した、みたいな。伝わるんかこれ。

 ただ、あの頃の私は若かった。こんなに衝撃を受けたにもかかわらず、「声が高くて気持ち悪い」「こんな音楽はロックンロールじゃない」なんていう勝手な決めつけで、それ以降クリープハイプというバンドのことについて触れるのをやめた。初めて触れた時のことを7年たった今でも鮮明に覚えているくらいには衝撃を受けたのに素直に受け入れなかった自分、今考えると死にたくなるくらい恥ずかしい。

 それ以後、私はクリープハイプに触れないだけでなく、クリープハイプと、そしてクリープハイプを応援する人たちのことを勝手に敵視するようになる。中学3年生になり、パンクやラウドといった言い方は悪いが男臭いジャンルのバンドにはまった私は、クリープハイプに対して「女々しい」「声が気持ち悪い」などと思い始める。それだけでなく、クリープハイプのファンに対し「このバンドを好きになるとかどんだけセンスがないんだ」と思うようになった。大変失礼極まりない話である。しかもそれを思っている中学3年の自分、中2の時クリープハイプにびっくりするくらいの衝撃を受けてるからな。(自戒)

 高校の3年間もクリープハイプに対し同じような向き合い方をしていた。徐々に私の周囲でクリープハイプを聞き始める人が増えていったが、理解に苦しんでいた。だが、そんな私に転機が訪れる。

 大学に入り、暇な時間も増えたこともありそれまでよりも多くの映画を見るようになった。そして、「百円の恋」に出会う。この映画が非常に良い。どこが良いかを語り出すと本線からだいぶ脱線してしまうため控えるが、とにかく心に響いたのだ。エンディングを迎え、良い映画だったなと余韻に浸り始めてきたときに流れてきたのが、クリープハイプの「百八円の恋」だった。


「もうすぐこの映画も終わる こんなあたしのことは忘れてね
 これから始まる毎日は 映画になんかならなくても
 普通の毎日で良いから」


「終わったのは始まったから 負けたのは戦ってたから 
 別れたのは出会えたから ってわかってるけど」



 涙が出た。映画がとても良い作品だったのはもちろんだ。ただ、映画の余韻で泣いたわけではない。エンディングとして流れたその歌の歌詞に、苦しくなって泣いた。

 大学生になってから、私はうだつの上がらない人生を送っていた。大学で友達ができず、入ったサークルは痴情のもつれで行けなくなり、映像を作るグループ授業も人間関係がうまく行かずフェードアウト。何の面白みもない日々がただただ過ぎていく。映画の世界に私のような主人公はいない、良いか悪いかは別として全員の人生に何かが起こっている。私は映画の主人公になりたかった。

 そんな風に見ていた映画の最後に、「これから始まる毎日は映画になんかならなくても普通の毎日で良いから」なんて言われるのはとても屈辱的だった。普通の毎日がいかにどうしようもないか、なんだか怒りもこみあげてくる。だがその怒りは、「負けたのは戦ってたから」という一節がすべて吹っ飛ばした。


 私の人生が映画にならないのは、私が何も、何にも戦ってこなかったからだ。大学に入ってから、しんどくなったらすべて逃げてきた。それ以上しんどくなることを恐れて、何か適当な言い訳をつけて逃げてきた。逃げた結果が、何も起こらない平凡な日々の連続だった。

 思えば、中学2年生の時に初めて「憂、燦燦」を聞いてからクリープハイプに触れず、なんなら嫌悪感まで抱いていたのも、私が彼らの音楽から逃げていただけなのだろう。声という生まれ持った才能と、リリカルかつ暴力的な歌詞を生み出す想像力と知識量、そして、それらを音楽として成り立たせるため彼らが積んだ努力。他にもいろいろな要素が絡み合い生まれたであろうクリープハイプの曲は私に衝撃を与えるとともに、彼らのどこを切りとっても自分には到底かなわないと直感的に思わせた。そして、彼らの曲を聴くと自分の何もなさを痛烈に実感させられるため、私はクリープハイプから逃げたのだ。

 「百八円の恋」は、そんな風に何事からも逃げている自分の現状を私に突き付けた。映画みたいな人生にあこがれていたのに何にも戦っていない自分の弱さは、痛い痛いじゃすまないくらいに私をえぐった。同時に、今までクリープハイプを嫌悪していた自分のカッコ悪さも見えてきた。悪としてみることで、関わらなくて済む。自分の何もなさを直視することから逃げるためだけにクリープハイプを嫌いになる。死ぬほどダサい自分がそこにはいた。そうしたもろもろが積み重なり、自然に、ごく自然に涙が出た。



 それ以降、私はクリープハイプを聞くようになる。思えば、最初に聞いた時から魅力を感じていたわけで、一度聞き始めるようになるとすぐに好きになった。なんでこんなにかっこいいバンドを無理やり嫌っていたのか、今になっては理解に苦しむ。

 クリープハイプを聞けるようになってからおよそ1年。今では尾崎世界観の著書を読んだり、ラジオを聴いたりするようにまでなった。(ポッドキャストで配信されている「クリープハイプ尾崎世界観の野球100%」という番組が、とてもコアで面白い。野球好きは是非。)「百八円の恋」は私の中で大切な1曲になった。ただ、もう昔のように泣いたりすることはない。今の私は夢に挑戦している。夢をかなえるために、何かから逃げ出さない。文章を書くことを人生の生業にするために、持ち合わせた少しの才能を生かせまいかと努力もしている(自分でいうのも恥ずかしいが)。

 もちろん、夢が簡単にかなうとは思っていない。厳しい世界なのはわかっているし、いつかは諦めないといけない時が来るのかもしれない。でも、たとえ自分の人生が映画にならなかったとしても、夢に敗れたとしても、この戦いからは逃げない。

 いつかはきっと報われる、そう信じて。



追伸

 この文章は、クリープハイプのフロントマン、尾崎世界観さんの著書である「苦渋100%」が文庫化され、それを読んだのを機に「そういえばクリープハイプにはいろいろ思い入れがあるな」と思い、自分の中での記録としての意味も込め書きました。あと、誤解を招かないようにもう一度言うのですが、今はクリープハイプも尾崎世界観も大好きです。

 話は変わるんですけど、「苦渋100%」の文庫版を読みます、みたいな写真をTwitterに載せた後、3つ下の女友達から「いい趣味してんな」って連絡が来ました。
 
「当たり前だろ、俺はいい趣味してるからお前と仲がいいんだよ」って思いました。

 恥ずかしくて本人に直接は言えないので、ここに書かせてください。



https://open.spotify.com/track/2YlOtvLXPiFHxh8WWI9gDW?si=k4vBpOwqTGuwhoEAZc2gaQ




文章:スズキ(Twitter:@szpnky)
絵:ヤマシタ(Instagram:ym.3579_i)
作品テーマ、お題、常時募集。コメントにて。



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