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好きなことを入り口にして生きていく

「好きなことで生きていく」

ちょっと前にYouTubeのCMで使われたフレーズです。

かなり拡まって、多くの人々が耳にした事と思います。

商業的なコピーライティングとしては、大成功だったのではないでしょうか。

多くの人の耳に届けば、賛否、別れます。

もろ手を挙げて、そうだ、そうだ、の大賛成から、

甘っちょろい、人生は厳しいものだ、けしからん、の反対派まで、

人それぞれに、解釈が有り、意見が有り、

メディアでも取り上げられて、私の周りでも、このフレーズを口にする人は少なくなかった様に思います。

私は、というと、初めて聞いた時、「爽やかでイイな」と思いました。

賛否の「賛」の方ですね。

キャッチコピーは、短い中にインパクトが求められる訳で、

創り手からの詳しい説明は無し、受け取る人々の解釈に委ねられます。

確かに、感じやすい年頃の子供を持つ親御さんであれば、

子供の、なりたい職業ランキングの上位に必ずユーチューバーという世相を鑑みて、心配する気持ちも理解出来ます。

ユーチューバーが良いとか悪いという事では無く、子供に安定した職業に就いて欲しい、という親心は分かる、という話しです。

また、
昭和を生きて、封建的な上下関係を知り、人生は甘くない、と思う人の気持ちも理解出来ます。

私もバリバリの昭和ですし。


その昭和生まれの私が、爽やかでイイな、と思ったのは、

時代背景も、さることながら、機能不全家庭に生まれたので、不条理に巻かれ、理不尽を生きて、

生きづらさを背負って平成に入り、平成も終盤に入った頃に自分と向き合い始め、元号が令和に変わって初めて、

生きづらさを手放した、という確信を持つに至ったので、

自分と向き合う事に懸命だった最中、「好きなこと」って素晴らしい、という思いが溢れていたタイミングだったから、かも知れません。

なにしろ、
存在を蔑まれ、感情を否定されて育つうちに、私は「好きなこと」が分からなくなってしまいました。

高校生の時に、父が病気で他界しました。

罰当たりな言い方かも知れませんが、私は少しも悲しくありませんでした。

父も母も私を虐待しましたから、私にしてみれば、のしかかっていた二つの重たい石の一つが外れた感覚でした。

重石が半分、外れた事で開放的になり「好きなこと」をしようとした時、途方に暮れました。

「好きなこと」が分からないんです。

それでも、多動の傾向が強い私は、
好きなのか、嫌いなのか、
やりたいのか、やりたくないのか、分からないままに、

色んな事に首を突っ込みました。
今考えると、好きなことをやる、というよりも、

これをやったら目立つかな、とか、周りから一目置かれるだろう、という思いに突き動かされて、色んな事をやっていたんだ、と思います。

部活にしろ、趣味にしろ、多動であると共に、過集中の傾向も強い為、

首を突っ込んだ事には、相当な熱量を持って取り組みました。

その熱量のお陰で、それなりにカタチになり、上達もした様に思いますが、

相変わらず、好きなのか、嫌いなのかが分からないままに取り組んでいるので、楽しくないんです。

好きなのかどうかが分からず、
楽しくもないのなら、
何が、多大な熱量を持って取り組むモチベーションになっていたか、というと、

周りに認められたい、
周りに優越したい、
という欲求です。

だから、
プロセスを楽しむ事は出来ず、結果至上主義になります。

楽しむ能力は、壊れてしまっていた、と思います。

当時、仲が良かった友人がいました。
ある時その友人が、「お前は頑張り屋だな」と何故か呆れた様に言いました。

人の気持ちが分からない私は、友人の呆れた様な表情が少し気になりましたが、褒められたと思って得意になった事を、鮮明に覚えています。

友人は気を使って「頑張り屋」と言ったのであって、本当は、
「なんでいつもキリキリしてるんだ、もっと楽しめよ、お前と居ても楽しく無いんだよ」
と言いたかったんだと思います。

その友人は、程無く私から離れて行きました。

認められようと躍起になるほどに、孤立しました。

それは、そうです。
好きかどうかも分からず、楽しくもないのに、好きなフリをして、楽しんでいるフリをする奴と一緒に居ても、周りは楽しく無い訳です。


だから、
好きなことが分からず、楽しむ事から離れて生きた私は、

「好きなことで生きていく」と聞いた時、細かい事は抜きにして、

好きなことが見つけられて、
それを楽しむ人生は素晴らしい、と素直に思ったのです。


くどくどと説明すると、キャッチコピーの用をなさない事は百も承知で、くどくど言うと、

「好きなことで生きていく」を、
「好きなことだけして」、と解釈すると、
親御さんが、多感なお子さんの将来が心配になったり、
昭和生まれが、甘っちょろい、けしからん、となる訳ですが、

これを、
「好きなことを入り口にして」と読み解くと、
好きなことを見つけられて、純粋な興味、関心、好奇心、を燃料に推進力を得たならば、

降りかかる困難や苦労すら、好きなことの一部分であり、楽しい事の一部。

つまり、
好きならばプロセスを楽しめるから、困難や苦労め楽しめる。

「好きなこと」という入り口から入れば、困難や苦労が、創意工夫の種になり、

やがて、分かれ道に出くわして、思いもよらない道に足を踏み入れる事になっても、

納得して選んだ「好きなこと」という入り口から続く道ならば、

傍から見たら茨の道でも、当人は口笛を吹いて困難を楽しめるのかも知れません。

だから私は、

「好きなことで生きていく」に、

賛否の「賛」です。

残りの人生、好きなことを大切にしたいと思ってます。

たぶん、それが幸せに近い、と思うから。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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