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自分を好きであること

幸せ、と、自分を好きであること、は、切っても切り離せない、と言うよりも、
もはやイコールで結んで構わない、と思うんです。

その人の人生が、他者から見て大成功の人生であったとしても、

自分のことを嫌っていたなら、富も名誉も権力も財力も、本人にとっては意味を持たない、空虚なものに感じられるのではないでしょうか。

自分のことが好きならば、大成功に至るまでの道のりにとてつもない試練があり、人並み外れた努力が必要だったとしても、

大好きな自分がその道を選んだと言う満足感があり、
大好きな自分の人生を切り開く為の努力は、ただ辛いだけでは無く、大好きな自分の、大切な人生の一部分なのですから、

そこには喜びや楽しさが必ずある、と思うんです。

つまずこうが、転ぼうが、血が滲もうが、喜びと楽しさがある、と思います。

自分を嫌っている人は、プロセスを楽しむことが先ず出来ません。

自分が嫌い、と言うことは、自分に価値を感じていない、と言うことです。

そのままの自分に価値を感じないから、自分の価値を証明する為に、他者の評価や賞賛が必要です。

他者の評価や賞賛を得る為には、どうしても、結果、に執着します。

プロセスは結果を挙げる為の手段に過ぎず、そこに、興味や関心は持ちづらく、

成功をもぎ取るまでの努力は、苦しみでしかありません。

苦しみに耐えて、やっと成功を掴む人生は、我慢の人生とも言えます。


自分を好きで、成功する人は、傍から見ると、とんでも無い努力をしている様に見えても、

努力の影に、苦労すら喜び、我慢すら楽しむ気持ちがあると思っています。

好きな自分が選んだ道であり、大切な自分の人生を歩んでいるから、です。


会社一筋で、重役まで登り詰めた人が、定年退職を迎え、呆けた様になる話しを聞きます。

おそらく、その人は、自分を好きでは無く、出世レースに勝って昇進すると言う、結果、が人生だったのだ、と思います。


また、人生を長く生きて老境に入り、一線を退いて、淡々と、しかし、楽しげに生きる人もあれば、
頑固になったり、口を開けば不平不満ばかり、といった人もいます。

若い頃の様には、自由が利かなくなる身体や思考力に、我慢がならず、

不安を文句に変えて表す人も、自分のことがあまり好きでは無い様に感じます。

自分を好きであったなら、
好きな自分の、大切な人生は、登る時も、降る時も、変わらず大切に思うことが出来る、と感じています。

自分を好き、であれば、
登る苦労にも、降る寂しさにすらも、
喜びや、楽しさを見つけることが出来る、と思っています。

私自身、身体にガタは出ていますが、

何か大切な物なら、多少不具合があっても、古くなっても、捨てたり乱暴に扱ったりは、しませんよね。

これから先、丁寧に生きたい、と思うんです。


私は、今生きづらさを抱えている方、とお話しさせて頂く事が多くあります。

その際、自分を好きになる、という話しは、

反感を持たれる方が多いのです。

のんきな事を言っていると、受け取られるのだと思います。

お気持ちはよくわかります。

それだけ、苦しんでらして、真剣に生きづらさを手放したい、と思っておられるからこそ、の苛立ちだと思います。

しかし、何かに追われて、余裕なく生きて、
のんき、になれない事が、生きづらさ、とも言えます。

生きづらさ、とは、自分を嫌っている状態、です。

自分を好きになることが、

生きづらさを手放すこと、

だと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム



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