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ネガティブに飽きた

「生きづらさ」を手放すには、最終的には決断が必要ですが、

今「生きづらさ」を抱えた自分は、心の中の確かな【自分】という意識が縮こまっています。

決断する主体の【自分】が縮こまって、感情が満足に動かない状態なのです。

先ずは、感情を動かすこと、【自分】を溶きほぐすこと、が必要です。

ところが、感情が固まったまま、【自分】が無いままに、「決断するんだ!」と力んでいる人が少なくありません。

肩をいからせ力を込めれば、決断できるという訳ではありません。

むしろ、感情が固まったまま力を込めることは、「生きづらさ」を手放すことから、離れてしまうと思っています。

短距離走の選手が、脚を骨折して、ひと月ギプスで固定したのに、
ギプスがとれていきなり全力疾走する様なものです。

ギプスで固定していた部分の筋肉は固くなっています。

先ず必要なのは、固くなった筋肉をマッサージして、揉みほぐすこと、

次にストレッチをして、筋肉の柔軟性と関節の可動域を蘇らせること、

つまり、競技に復帰するには、
筋肉に負荷をかけて強化するトレーニングではなく、
充分な柔軟性を回復するリハビリの期間が必要です。


「生きづらさ」を抱える原因は、余程のレアケースを除いては、幼少期に負った心の傷だと言って良いと思います。

つまり、
幼少期に心を骨折して、10年、20年、もっと長く心にギプスを着けたまま生き、

ようやく、ギプスを外して、自分と向き合い、決断し「生きづらさ」を手放そうとしています。

心は長い年月、ギプス固定されていたため、固く縮こまって、満足に動きません。

その状態で、
『決断して、今すぐに「生きづらさ」を手放すんだ!』
と、力を込めることは、

リハビリ期間無しに、競技に復帰して全力疾走するのと同じことです。

陸上競技なら、また怪我をして復帰は遠退きます。 
「生きづらさ」を手放すことを願う場合なら、決断はおろか、自分と向き合うことが、ままなりません。
挫折し、「生きづらさ」を手放すことは遠退きます。

私は、「生きづらさ」を手放すには個々人のタイミングがある、と思っています。

「生きづらさ」を抱えた人は、これまでネガティブな世界を嫌と言うほど体験して来た人です。

苦しくて、ネガティブな世界から脱したいと願っています。

その事に嘘はありません。

しかし、
本人に自覚は無いのですが、苦しみから逃れたい、と切実に望みながら、
ネガティブな世界から出るのが怖いという、相反する思いに支配されている場合が少なくありません。

遠慮無しに言うと、ネガティブは苦しいのに、
ネガティブには報酬があり、その報酬から離れられない状態のまま、
「生きづらさ」を手放そうとしている場合が、実に多いと思っています。

ネガティブの報酬とは、様々ですが、ネガティブな世界に居続けることで、

自分と向き合わなくてよい、
見たくない過去の出来事から目を逸らしてよい、
感じたくない自分の感情と対峙しなくてよい、
本当の自分を知らないままに出来る、

等など、人によって内容は異なりますが、
自分が恐れていること、 
自分が嫌っていること、
などに、触れなくてよい、と言ったことです。

これまで苦しんだ、
これまで生きづらかった、
もう沢山だ、
と、本当に思えている、
「ネガティブに飽きた」人は、

報酬を受け取ることにすら、飽き飽きしています。

この「ネガティブに飽きた」タイミングが、自分と向き合い、決断し、「生きづらさ」を手放すタイミングだと思っています。


そのタイミングにある人と、
まだ、そのタイミングを迎えていない人には、明確な違いが有る様に思います。

タイミングにある人は、
「生きづらさ」の原因も、手放す方法も自分の心の中に有る、ということが薄っすらと分かり始めています。

タイミングを迎えていない人は、
無意識に外に答えを求めます。
「生きづらさ」を手放す、近道、方程式、方法、テクニック、言葉などを探します。

心の中の【自分】が縮こまっていて、感情が固まっていては、自分と向き合うことも、ましてや決断することは難しいので、

リハビリ期間が必要、ということが受け容れられません。

感情を動かすリハビリは、
たとえば、
身の周りに好きなものを探すこと、
今の感情はどんな感情なのかを感じること、
といった事なのです。

「生きづらさ」を手放すタイミングを迎えていない人は、

それを聞くと、ほぼ、
「そんな気長な事はしていられない」と憤慨したり、鼻で笑ったりするのですが、

自分と向き合うことの始まりは、自分の感情を動かし、感じる、身の回りの当たり前な事の中に見つかるのです。

当たり前な感情すら動いていないままに、外に魔法の杖を探している、ということが分からない時は、

その人が、「生きづらさ」を手放すタイミングに無い、という事なのだと思います。


遠回りに見えても辿り着いたら、

気づきは一瞬です。

そんな悠長な事はしていられない、と思っても、

それが「自分と向き合う」という事です。

それが腑に落ちて、

外に魔法の杖は無く、心の中に答えがある、と思えた時が、

「ネガティブに飽きた時」であり、

「生きづらさ」を手放すタイミングであり、

気づきの時、なのだと思います。


そこに立つことが出来たなら、

近道も、方程式も、魔法の杖も、

要らないのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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