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心の逆回転 もがき尽くして見えたもの

変化


ずいぶん長く、生きづらさと一緒に歩きました。
もがいて、もがき続けて、もがき尽くした先にテープ式心理学と出会って、
やっと、生きづらさを手放したことを、実感し、噛み締めています。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

そこに至るまでの経緯については、他の記事でもお話しさせてもらっているので、

生きづらさを手放すと、どこがどう変わるのかについて、お話しさせて頂きます。

変わる、と言いましても、世界が薔薇色だったり、お花畑に変容する訳ではありません。

確かに、生きづらさを手放した実感が得られた日から2〜3週間は、ふわふわした幸福感のようなものはあったのですが、世の中には、変わらず、悪意や敵意を向ける人も居れば、被害にはあっていないですが、ドロボーも詐欺師も居る訳です。

変わったのは、自分の内側です。

感じ方はまるで変わりました。

ただ、日を追う毎に、変化した自分が、普通の自分として感じられ、翻って、かつての自分の感じ方の意味がわかったり、強い違和感を感じたりすることで、相対的に変化の大きさを実感する感覚かも知れません。

いずれ、ふわふわした幸福感が収まった様に、かつての自分の感じ方と、今の自分の感覚を比べる様なことも、無くなっていく様な気がしています。

生きづらさを手放した後の変化を強く感じるうちは、きっと若葉マークなんだと思っています。

変化は大きく、多岐に渡りますので、

特に、人間関係の辺りを中心に、限定的な範囲のお話しを簡単に、させて頂きたいと思います。


逆回転


生きづらさの原因は 心の傷 です。
主に幼少期に受けた 心の傷 です。

心の傷 は望まないショッキングな出来事が先ず起こり、
その出来事に、自分には価値が無いとか、怖いとか、悲しいといった、ネガティブな意味づけをします。
このネガティブな意味づけにより、ネガティブな感情の、無価値感や、恐怖や、悲しさなどが生まれます。

テープ式心理学では、この仕組みをガムテープと呼びます。

出来事・意味づけ・感情発生=ガムテープ
です。

ネガティブな感情は、貼り付いたガムテープを剥がすまで、何度でも発生します。
今起きている出来事に昔貼り付けたガムテープが反応します。
つまり、過去の感情を再体験、再実感する訳です。

過去のネガティブな感情を再体験するだけでも苦痛ですが、

ガムテープがたくさん貼られれば、貼られる程、心の中の 自分 が小さく、萎縮してしまうのです。
この心の中の 自分 は「確かな 自分 という意識」、自我と言っても良いと思います。

更に、自分 が萎縮するだけには留まらず、自分 の輪郭線が薄く頼りなくなってしまいます。
この輪郭線は、自分と他人の感情を分ける 感情の境界線 です。
感情の境界線が曖昧になってしまいます。

つまり、ガムテープが貼られることによって、

・ネガティブな感情が発生する。
・自分 が小さくなる。
・感情の境界線が曖昧になる。

この3つが、ワンセットで起こるのです。

ガムテープが貼られる時、ワンセットで起こりますから、
ガムテープが剥がれると、ワンセットで逆の状態に向かいます。

・ネガティブな感情が発生しない。
・自分 が大きくなる。
・感情の境界線がはっきり引かれる。

この逆回転が、いっぺんに起こります。

だから、世の中が変わってしまった様に、目に映る訳です。


人間関係


なぜそうなったのかの説明は、あまりにも長いお話しになるので、別の記事にまわすことにさせて頂いて、「こうなった」を記させて頂きますが、理由は大雑把に言うならばガムテープを剥がすことで生じた、先に触れた 逆回転のワンセット です。

では、具体的にどうなるのか、をお話しさせて頂きます。

以前からすると、ずいぶんドライになりました。

冷たくなった訳ではなく、心の動きは血が通ったものになっている自覚があります。

ただ、これまでが、他人にこだわることが中心の人間関係だったことが、わかりすぎるほど、わかりました。

ある方向の人達からすると、たとえば、母親やおじさん、おばさん、いとこ達など血縁者から見たら、以前の私の方が優しく見えると思います。

しかし、それは、お互いに干渉し合い、感情の境界線がぼやけた中で、成り立っていたことなので、関係性は変わります。

人との距離感で悩むことが、少なくなりました。

これまで、遠い距離の人、近い距離の人よりも、中間距離の人が苦手だったのですが、
ほとんどが、あまり干渉したり、されたりする必要の無いの距離だったことに気がつきました。

そして、遠い距離の人と近い距離の人が減り、干渉したり、されたりする必要の無い人が爆増しました。

これは、冷たい意味ではなく、これまでが関係無い人と、親しい人の二択に近い感覚で人と接していた訳で、
そこに普通の人、やや親しいけれど干渉しない人など、それこそ人との距離感がグラデーションになったと言う事です。

感情の境界を侵された時、直ぐにわかる様になりました。

以前は嫌味やお世辞や社交辞令がわからないことが、多々ありましたが、

相手がこちらを傷つけようと思って発する言葉と、特に意図の無い言葉がはっきりわかる様になりました。

以前はこれを許して、見当違いな方向に防御壁をこさえたりしていたんだな、と気づきました。

今は嫌味を言った「人」にはあまりこだわることがなく、嫌味を言われた「事」として、「出来事」として捉えていることにも気がつきました。

他人からどう思われるかよりも、自分の好き嫌いを圧倒的に優先するようになりました。

感情の境界線が曖昧だと、他人の考えや思いを自分の中に招き入れてしまい、

物事を決める際の迷い になり、それが不本意な選択 を呼び、後悔 に繋がることがわかりました。

他者の思考や感情を安易に自分の中に取り込むと、物事を決める時には、満足感は生まれず、
結果が出た時にはじめて、間違わなかったことへの安堵感を感じます。

自分の好き嫌いを優先した場合は、物事を決めた時点で、好き を選択した満足が結果に関わらず生まれます。

何でもかんでも、好き を優先すると言うことではなく、基本線として、好きで選択する構えは大事だと思ってます。


どうやら自分の事がわかったのと同じ分、他人がわかるようになる気がします。

どうやら自分を好きになった分、他人を好きになれる気がします。

どうやら親しくなる人を選ぶ分、他人が選んでくれる気がします。


まだまだ、初心者ドライバーの自覚はありますが、日々の発見は新鮮です。

お花畑ではない世の中でも、私は私の世界を創り、心地よく渡っていきたいと思っています。


読んで頂いてありがとうございます。

あなたに心地よさが、たくさん降り注ぎますように。

感謝。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム


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