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私より幸せになるな

楽しいこと、嬉しいことは、親に隠していました。

物心ついた頃には既にそうなっていたので、いつから?と問われたら、最初から、といった感覚です。

学校からの帰り道、友達とふざけ合って大笑いしているところを、母から見られたことがありました。

「馬鹿に見えるから、あんなに大声で笑うもんじゃない!一緒にいた子は誰だ、もうあの子とは遊んじゃダメだからね」

「お前の笑った顔はホントに馬鹿みたいなんだよ、鏡の前で笑って見てごらん」

そうやって、遊んではならないと言われた友達は、一人や二人ではありません。

そんな調子なので、楽しかった時ほど、つまらなかったフリをしました。
嬉しかったことを、ひた隠しにしました。

友達を失いたくは無いし、𠮟られたくも、叩かれたくも、ネチネチと責められたくも無いからです。

楽しいこと、嬉しいことを、親に隠すうちに、
楽しいこと、嬉しいことは、私にとって、後ろめたいこと、になって行きました。

そうなった頃には、楽しむ能力は随分小さくなってしまっていた、と思います。


母親はいつも相反する要求を突きつけて来ました。
馬鹿に見えるから笑うな、と言いながら、快活な明るい子であれ、と求めました。

あの子とは遊ぶな、と言いながら、友達を沢山つくれ、と求めました。


快活な明るい子であれ、と求めるのは、母の都合の良いイメージに我が子を当てはめる試み、です。

都合の良いイメージとは、
快活な明るい子の親、として周りから、もてはやされるイメージです。

実に幼い、浅はかなイメージを母は持っています。

でも、実際に我が子が快活に笑っているのを見ると、許せないのです。

母の抱いている都合の良いイメージは、とびきり快活な明るい子の親として、自分がもてはやされる、というものです。

幼稚な願い、です。

しかし、我が子が笑ったり、楽しんだり、喜んだりする姿が、許せないのです。

笑わず、楽しまず、喜ばずどうやって、とびきり快活な子になれ、と言うのでしょうか。


今は、母の矛盾に満ちた心のカラクリが大分解って来ました。

私が母から、がんじがらめに縛られ、どう転んでも責められる環境で育った様に、
母もまた、親から逃げ場の無い状況で吊るし上げられる様な幼少期を過ごしたのだ、と思っています。

母は、大人のなりをしていますが、心は驚く程に幼いままです。
逃げ場無く吊るし上げられた幼い日に、心は凍り付き、情緒は成長の歩みを止めてしまったのだと思っています。

だから母は、幼稚な願いに執らわれます。

漫画から抜け出た様な、とびきり快活な明るい子であることを、我が子に求めます。

母本人は、我が子の為を思っているつもりですが、
我が子を思うことが出来るのは、心が成熟した親です。
情緒が未熟なままの母が、我が子の為を思っているつもりの時は、100%自分のことしか思っていないのです。

だから母は、幼稚な願いに衝き動かされます。

しかし、我が子が楽しむことが許せません。
我が子が喜ぶ姿が不快です。
我が子の笑顔が憎たらしいのです。

母の心の奥底には、怒りがあります。
本人の意識に載らない心の奥です。
怒りは、長い年月を経て、恨みの感情へと変化を遂げています。

我が子の笑顔に、恨みの感情が刺激されるのです。

憎ったらしく見えます。

そして、母は恨みに巻かれて、こう思います。

私より幸せになるな!

自らが抱いた幼稚な願いを、自らが恨みに執らわれることで、妨げます。

我が子に、
とびきり明るく笑うことを願いながら、
我が子の笑顔が憎いのです。


母が心の奥底に抱える恨みは、かつて自分を責め苛んだ親への恨み、です。

しかし母は、いまだに自分の親は優しかった、と言います。

母が我が子を憎たらしいと思ったのも、
我が子に無理難題を突きつけたのも、
なりだけ大人で心が幼いままなのも、

親は優しかった、と思い込んでいることが原因です。

心の奥底、意識の下では、親を恨んでいるのです。

しかし、母は恨みから目を逸らし、意識の下に閉じ込めました。

親には向けることが出来ないのです。
かつて、責められ、吊るし上げられたから、恐ろしいのです。

行き場を無くした、恨みの感情は、例外無く向けやすい方に向けられます。

何をしても自分を慕う存在、無力で、絶対服従の存在、それが、我が子です。

我が子に怒りをぶつけます。

かつて幸せでは無かったのです。
親から責められたから。

だから親を恨んだ、でも親が怖いんです。
だから我が子に怒りを恨みを、ぶつけます。


母は24時間介護が必要な身体になり、老人ホームに入居しています。

人生の最終章に入っています。

いまだに、親は優しかった、と言います。
今尚私に、お前のここが悪い、あそこが至らない、と言います。

心の奥にしまい込んだ怒りや恨みから、目を逸らし続けた人は、

かつて自分を責め苛んだ人を、優しい人に仕立て上げ、
真実から目を背け、ファンタジーに生きるしか無い様に思います。

真実から目を背ければ、虐待が起こります。
ファンタジーに埋没すれば機能不全家庭は連鎖します。

虐待を遠ざけること、
機能不全家庭の連鎖を止めること、は、

その人が、かつての望まない出来事を、ありのまま受け入れて、生きづらさを手放すこと、

私より幸せになるな!と言われても、

いえ、私は幸せを選びます、

と言い切ること、だと思うのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム











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