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超高感度受信機は生きづらい

親の顔色を見て、
親は今、自分にどういう態度を取って欲しいと思っているのかを察知して、
半ば先回りするかの様に、自分の言動を親の求めるものに極力近づける。

幼い頃から、そうしなければならない立場に立たされていた人は、少なく無いと思っています。

この場合、その子の感情は置いてけぼり、親の感情を無条件で優先しています。

幼少期は本来、人の生涯の中で唯一、無条件に受け入れられるべき季節です。

幼児はこの時期に無条件に受け入れられることを通じて、
「自分には価値が有る」という感覚を育みます。

その感覚は自分という存在に対する「安心感」と言い換えることが出来ます。

「安心感」はあらゆることの基礎とも言える大切な感覚です。

ところが、
その人生に於いて唯一の時期に、湧き上がる感情を置いてけぼりにして、
親の感情を無条件に受け入れることを強要される立場に立たされると、

親の望む感情が自分の感情の様に感じられる様になってしまいます。

言わば、
心を親に明け渡した状態になってしまいます。

その子は、自分の感情を置いてけぼりにすることが当たり前になり、

代わりに、親の望むことを瞬時に察知する、もはや特殊能力と言ってもよい能力を身につけることになります。

その子は、親の発する電波を極めて敏感にキャッチする、超高性能受信機になる訳です。

受信機は高性能であるのは、電波を受信する一点についてであり、
何かを創り出したり、応用を効かせたり、することは出来ません。

電波を捕まえること以外のことには、基本、空っぽの中身です。


その子は、幼稚園や小学校に通う様になり、外界に触れ、友達や先生との関係性が出来ても、

家庭でずっとそうだったため、受信機の感度は鋭敏なままです。

他者の電波を捕まえて、その意向に沿った言動をすることが、その子のコミュニケーションです。

幼少期に親の顔色を見る必要が無かった子は、
心を親から占領されることは無く、心の中には【自分】が育っています。

先ず【自分】が在って、友達や先生が存在します。

そして、受信機の感度は、鈍いのです。

それはそうです。
自分の感情を置いてけぼりにして、親の感情をキャッチする必要など無かったのですから、

受信に関する性能は磨かれていないのです。

その代わり、中身は成長しています。

人との距離を測ったり、人を思いやったり、共感したり、
いわゆる、人間らしい営みに適した中身を持っています。


受信機能に特化してしまった子は、人間らしい営みに適した機能が育っていません。

その事は、その子の人間関係に支障をもたらします。

どの様な支障があるかと言うと、それこそ多岐に渡るので、網羅することは出来ませんが、

大括りに言うと、
受信感度が過敏な為に起こる事と、
中身が育っていない為に起こる事に大別出来る様に思います。

受信感度が過敏な為に起きる事としては、
とにかく他者が気になって仕方が無いのです。

相手や周りがどんな気分で、自分をどう思っているか、ということが第一で、家庭でそうであった様に、自分の感情は置いてけぼりです。

そして、家庭ではキャッチすべき電波は親が発するものだけですが、幼稚園や学校では何十という電波が飛び交います。
そのひとつひとつに気を取られ、ますます自分のことは蔑ろになってしまいます。

中身が育っていないことによる弊害は、先ず他人との距離が測れません。
人間関係に於いて、この距離感はとても大切で、測ることが出来ないと、

近すぎたり、遠すぎたり、つまり馴れ馴れし過ぎたり、よそよそし過ぎたり、安定的な人間関係を構築することが難しくなります。

中身、要するに情緒が未成熟で、年齢に相応しい共感性などが育っておらず、
その上、親とのコミュニケーションを対人関係のひな形にしているので、

どうしても一種独特な対人関係に終始しがちです。


そして、
受信感度が過敏なことと、
情緒が未成熟なことが重なって、
長期に渡って安定的な人間関係を構築することが、極めて困難になってしまいます。

現れ方は、様々有りますが、

例えば、
人に合わせてばかりで自分が無い八方美人になったり、
合わせることを諦めて孤立したり、
孤独に耐えかねて怒りに振り回されたり、
イジメられたり、
イジメたり、
不登校、
非行、
等、

様々な現れ方をしますが、

総じて言えることは、
その子の苦しみ、生きづらさは、
想像を絶するものがあります。


原因は、幼い頃に蔑ろにされ、

「自分には価値が無い」という思い込みを作ってしまったことにあります。

本来、「確かな【自分】という意識」が座るべき心の真ん中に、親が居座ってしまった為に、

情緒は成長の歩みを止め、
自分を蔑ろにして、
他者に心を明け渡し、

生きる実感が無く、
砂を噛む様に虚しく、

何が苦しいのかわからないまま苦しみを味わいます。


しかし、心にべったりと貼り付けた「無価値感」は、

望まない親との関係性から生まれた、

単なる思い込みです。

思い込みは、いつでも剥がせます。


心のことは不思議ですが、

根本が解決すると、

様々なことがいっぺんに変わります。


お話しした、

超過敏な受信機も、
空っぽな中身も、

以前はそうだった、と言える様になります。


虚しくも、苦しくも、生きづらくもなくなります。


方法は、

たったひとつの、

単なる思い込みを剥がすだけ、です。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。



伴走者ノゾム







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