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小さな棘の刺さる痛みが真実を語る

生きづらい人が、「自分は生きづらい」ということに気がつくことは、つくづく難しいことだと思っています。

私の場合は、40歳を過ぎるまで、「自分は人並み以上に愛されて育った」と信じ込んでいました。

確かに両親は厳しかったけれど、それは愛あればこその厳しさだと思っていました。

機能不全家庭とか虐待にまったく縁が無い人達には、腑に落ちないことだと思います。

そもそも親が自分の抱える無価値感から目を逸らす為に我が子を犠牲にすることなど本当にあるのか、と感じているのではないでしょうか。

子供を虐めて親がそこに歓びを獲ているなどとは、信じられないと思います。

そして、そうやって虐めた親も虐められた子供も、それを虐待とは思っていないという、
親子で魔法にでもかかったかの様な状況は、もはや理解の外なのだと思います。

当事者の私ですら、人生の半分を魔法にかかったまま、歩いたのですから、当事者では無い人達には理解不能なのも無理は無いと思います。


人生の半分を過ぎてから魔法がとけた本人は、すべてがひっくり返ったことを、なかなか受け入れられません。

暖かいと思っていた家庭が冷え冷えとした場所であったことが受け入れられません。

自分のことを思っての厳しさだと信じていたのに、それが虐待だったということが受け入れられません。

みんなで笑ったことがあったじゃないか!
それが自分を嘲る笑いだったなんて。

自分が何かを出来ないと、親はあんなに深刻な表情をしていたじゃないか!
それが自分を責め苛む表情だったなんて。

あのことも、そのことも、全部逆だったなんて。

馬鹿にされてた。

蔑まれてた。

利用されてた。

愛されてなんか無かった。


魔法がとけると、次から次にいろんな場面が思い浮かび、信じたことが、ことごとく裏返って腑に落ちます。

激しい怒りを感じます。

恨みの感情をはっきりと認識します。


それと同時に、おかしな事に気がつきます。

親が「お前のために」と言ったとき、

家族を暖かいと思ったとき、

みんなで笑っているとき、

親が深刻な表情をしたとき、


胸にチクッとした、小さな棘が刺さる様な痛みを感じていたことが思い出されました。


その痛みは、今はわかります。

私は知っていた、のです。


親が私のことを思ってなんかいないことを。

家族が暖かくなんか無いことを。

親が私を嘲って笑っていることを。

親が深刻な表情で私を責め苛んでいることを。

意識の下の無意識が、小さな棘の痛みで私に知らせていたのかも知れません。

愛されてなんか無いことを、

私は知っていたのです。


でも、それは子供にとって認めることなど出来ないほど辛い事実です。

だから、
暖かい家庭と思い込みます。

だから、
愛されていると思い込みます。

それが魔法のカラクリです。



生きづらい人が、生きづらさに気がつくことは、難しいことです。

子供にとって、親から愛されないことは、何よりも辛いことです。

だから、自分は暖かい両親から愛されて育ったと思い込むのです。


生きづらさを手放したいと願うなら、

その思い込みは取り払わなくてはなりません。

気づかねばならないのです。

気づきの鍵は、

胸の奥の小さな棘の痛みです。

どうか研ぎ澄まして、

感じて欲しく思います。


チクリと刺すその痛みが、

真実の扉を開き、

望む人生へ誘うと信じます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム







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