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有るものでやりくりする喜び〜自分の本音を暴く旅⑩〜

島への旅から戻り、自宅で過ごすこと数日。
今朝、朝ごはん何食べよう?と思った時、
島での朝ごはんを思い返した。

三泊の初日にスーパーで買出したのは、
ブロッコリー1個、パパイヤの千切り1袋、卵6個、鮭切身2切れ、豚肉小間切れ200g強?、プレーンヨーグルト1パック。
とりあえず、という感じで、人も待たせていたのであまり深く考えずに買った。
宿では自炊だったので、その夕食から自分で用意した。

それがまぁ、なんと、最終日の朝、つまり帰る直前の食事でピッタリに使い切った。過不足0✨
立派なブロッコリーに、見た目より量が多かったパパイヤで野菜は十分。プラス、宿の庭で宿主のおばあちゃんと摘んだ豆もgoodな品数増。
前半は特に考えず、食べたい量を使い、後半で「もしやこれは買い足さずにイイ感じか??」と気付いてからは、最後までどれをどう使うか頭の中で組み合わせた。
それがピッタリンコの達成感と爽快感✌ 我慢も食べ過ぎも無い😄

で、私そういうの好きだな〜って改めて思った。
有るもので、知恵を働かせてやりくりして、ピッタリ!みたいなやつ。
「縁」とか「タイミング」とか好きだから、それと同じだね、きっと。あと「知恵」ね、昔から人の知恵を感じるものが大好き❤

離婚前の別居期間を思い出す。
一人家を出て、一人暮らしをした。
家具も電化製品も無い部屋。
必要最低限のものしか無い。
そこを知恵を絞って暮らすのがとても楽しかった。そして、余計な物が無いから、一つ一つの物に存在感があり、一つ一つが引き立つのだ。
ただの白米も、出汁が無いただの醤油汁も、引き立って美味しかったのだ。
あの足りない暮らし、シンプルな暮らしをまたしたい。あの生活から抜けなければならなくなった時、それは元夫と一旦仲直りした時だったが、家族の元に帰れるのは嬉しいけど、その暮らしから抜けるのは残念だった。その感覚を忘れたくないと思った。
だが現実は、家族の居る家は、物が溢れている。
うちは全く贅沢してないし、物が足りない方だと思うけど、それでも溢れている。
なぜかな?

汚くてちょっと嫌だった宿だけど、そんなことを思い出させてくれた。私の”好き“を。

私はきっと、自分を生きている実感を求めている。足りなくて知恵を絞ることは、その環境との縁とかタイミングに対して、それを受け入れ、信じ、それに対して自分を活かす(生かす)ことなんだと思う。それは、その環境や物をも生かしてることになる。
全てのものが、生き生きとその物を生きてることを望んでいる。もちろん、人もだ。
そういうことなんだな。
一人一人が生き生きと生きるためには、安心が必要だもの。
だから私は、安心を提供したいのだ。
話を聴くこと、対話をすることで。
あなたの目を見て、顔を見て、表情を見て、動きを見て、時には見ないで、仕草を見て、声を聞いて、言葉を聞いて、空気を感じて、、 、
すべてを、フラットな大地の上に並べるように
出して欲しい。出す、お手伝いがしたい。

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沖永良部島サトウキビ畑の道

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