見出し画像

島と東京の差を見る目〜自分の本音を暴く旅⑨〜

沖永良部島で過ごした数日で、私が一番心地良かったのは、夜が暗いことだった。
街から外れると、街灯は殆ど無く、夜はしっかり暗いのだ。

私が普段住んでいるところはそんなに都会ではないが、夜でもマンション、道路は煌々と電灯が付き、極めつけに近所の屋上フットサルコートのめちゃくちゃ明るいライトが、我が家の窓から直で差し込む。

普段から、お日様と共に生活したいと願っているので、暗い夜にホッとした。暗いのは恐いけど、その怖さこそ、これだよね、って。

東京に帰って来て家に向かう電車に乗ったのは、ほぼ終電の夜中だ。人がうじゃうじゃ乗っている。電気は明る過ぎる。眩し過ぎる。

それを、これまでの私なら、、、
「まったく…こんな夜中までこんなに電気点けて、こんなに人が乗ってて、こんなの必要無いじゃん、みんなさっさと寝ろよ、夜なんだから…」なんて、批判的な目で見て、心の中で批判をボヤいていたと思う。というか、そうなるだろう…と、その不快な帰途を想像していた。

でも、なんか違った。
そんな若者を、そんな多くの人々を、そんな電車を、私は、ただ眺めていた。批判的な気持ちは浮かばなかった。そう、帰りのフェリーで長い間ただ海を眺めていたのと同じように。
そんな自分に、へぇ…と思った。
なんか私変わったんだな。
人を認められるようになったんだ。もう無意識レベルで、人を尊重できるようになったんだ。私は私、人は人、って。
それは、自分のことを認められるようになったことも意味しているだろう。

起業を目指す中で、本心で生きることを大切にして来た。そのお陰で、私は随分変わって来たと感じてはいたけど、こうして客観的に実感できたのは初めてだったかもしれない。
これは、随分楽になったもんだ。

電車の中で、私はボーッと社会を眺めていた。
酔っ払ってドア横で立ったまま寝てる女の子が、ドアが閉まる時、カバンが挟まれそうで危なかった。私は、そのカバンを触って挟まれないようにカバーした。怪しまれるかも知れないと思ったけど、そんなことどうでも良かった。女の子は、全く気付いていなかった。そんなちょっとした助け合いというか、協力というか、一緒に生きていることが、なんだか心地良かった。抵抗なく自然に動けた自分が嬉しかった。たったそんなことが、自分を生きている気がした。

夜中に帰って来たのは、ただの成り行き。
ただの成り行きからの、出合い、タイミング、見え方。
静かな感動が小さく染みる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?