koruo.I

好きな時に好きな事を綴ります。

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最近の記事

メッセージ

伝えなきゃいけない人に伝えるメッセージは大切なもので。 周囲が何か言おうと自分が伝えると思ったら実行したいもの。 そして、伝えてくれたメッセージに、伝えてくれてありがとうと言いたい。

    • 記憶に残る1980年代アイドルの歌

      中森明菜さん、松田聖子さんは、言わずもがな!80年代アイドルの代表格です。今や、アーティストで、二人の曲とても好きです。 二人と同世代で、アイドル歌手として歌が歌詞が記憶に残っている人がいます。 石毛礼子さんの 旅の手帖 サビ前の『愛してない好きじゃない、気にしていない泣いてない、色んな言葉のないを消したら、それが本当の気持ちだったの~』が 心に残っていて、また軽快な曲調も良かったです。 サビも『星明かりで書く旅の手帖、出逢いから別れまで私は旅人~』良い歌詞だな~と、

      • 昭和の大人な女性歌手

        西暦で言うと1970年~1980年前半。 テレビで、何度も観ていた訳ではないのに、子ども心に印象的な女性歌手が沢山いらした。 小学低学年~高校生の私からみたら、大人の女性歌手。時代は、どの方がいつ頃とは言えないのですが。 朱理エイコさん→北国行きで (足の綺麗な人) 金井克子さん→他人の関係 (振り付けにインパクトが!) ちあきなおみさん→四つのお願い (喝采より以前の歌だったかな?と、  何で四つ?と思ってた) 内田あかりさん→浮世絵の街 (ヒラヒラとした衣装が印象的、

        • 昭和歌番組

          マツコの知らない世界で、JUJUさんとマツコ・デラックスさんが昭和歌謡について語っていた。私が幼少の頃、テレビで観た昭和歌謡の大人だな~と思ってたのは… 尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』や、ちあきなおみさん『喝采』かな。ちあきなおみさんは、まばたきをしないで歌っている姿が印象に残っている。 歌番組がとにかく好きで、色々観ていたし、隣に住んでいた、お兄さんお姉さんが、麻丘めぐみさんや野口五郎さんのファンだったので、よく曲が漏れ聞こえてきた。 テレビ位しか娯楽がなかった我が

        メッセージ

          ファンの気持ち

          今は『推し』と言いますね。 子どもが応援していた推しが突然居るはずのところから、居なくなってしまいました。そうなってしまった理由が何かしらあったのでしょう。 しかし、それまで応援していた人々の気持ち、これからの活躍を期待していた気持ち。置き去りになってしまい、何とも言えないモヤモヤが残ってしまって。せめてファンへ何かしらのメッセージがあったなら…と思いながら。 今後また違う形でも、元気で頑張っている姿を、今まで応援していたファンへ見せてくれたら…と願うばかりです。 

          ファンの気持ち

          凧揚げ

          子どもの頃に、正月近くなると、近くの文房具屋では、凧や羽子板等、正月遊びの商品も通常商品と一緒に売られていた。 凧の種類で、覚えているのは、もちろん紙製で、やっこ凧や、『龍』等、一文字漢字の長方形の凧。 家でその凧に足を、緑色のチューブに入っていたヤマト糊で付ける。 やっこさんは、一本。 長方形漢字の凧は、二本。 新聞紙を使っていたのか?? 長さも適当だったのか?バランスを考えていたのか?兄が教えてくれてたか。 住んでいた団地内の広場へ行き、凧揚げをした。多分、兄と一緒

          団地時代の買い物

          今は、スーパーマーケットに行けば、そこで買いたい食材が何でも買えて、便利な世の中だけれど。 団地で過ごした1970年代前半は、物によって、その場その場に買い物へ出かけた。 団地から出ると割と直ぐに、アイスクリームのケースやガチャガチャが目に付く所に置いてある小さな商店があった。 100円を握りしめて、選ぶのは、 マーブルチョコレート、オレンジガム、クッピーラムネにカルミン等々。甘い菓子ばかり! 他にも買っていたと思うけれど。 100円で、三種類位は買えた。 中でも、ライ

          団地時代の買い物

          団地で外遊び

          幼少期、30棟以上建っていた団地の 真ん中辺りに住んでいた。 要所要所に大きさの異なる公園があった。自分の棟の近くには、どちらかというと小さな公園。 滑り台、ブランコ、雲梯、砂場。 砂場には、高さの異なるコンクリート製のステップ?が、何個かあった。 ただただ乗って、降りて、ステップ間を飛んで…という物体。 砂場遊びスペースとは別に、そのコンクリート製飛び石!は、建っていたのだけれど。今は、危ないから即撤去対象になると思われる。 30棟以上の団地の真ん中辺りに、大きな石

          団地で外遊び

          1960年代の分譲団地

          東京郊外のマンモス団地で、幼少期を過ごした。両親が力を合わせて購入した物件。四階建ての三階。 玄関ドアの左に四畳半の和室。祖母が居た部屋。 右に洗面所・洗濯機置き場、奥に風呂場。洋式トイレは、洗面所の向かい側にあった。 風呂は、楕円形の木製、火を点けてガスで湯を沸かすタイプ、小窓有り。 脱衣所は人が一人立てる程度。 リビング・ダイニング、何畳あったか?八畳位ずつあったか?リビングには薄い緑色の絨毯。白いレースをかけた黒っぽい布地ソファー。 家具調テレビ。ベランダへ出られる

          1960年代の分譲団地