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英語の習い方

 英語教育に携わって20年以上が経過する今、なぜ日本人の英会話力は伸びないのかを考え続けて見つかったことを一つ、書いてみる。

英語を習い始めた

 英語講師ではあるが、私が英語圏で本当に英語を「使って」生活をしていたのは25年も前のことで今は自分でアップデートしていかないと、昔話していた英語だけ携えての指導は限界がある。そう思って一念発起。英会話に通うことにした。
 ただ、それまで何度も私は英語を習おうとしている。オンラインを始めてみたり、自分で文法書を開いてみたり。でも続かなかったのは、自分がワクワクする方法じゃなかったから。自分に合っていなかったからだ。自分なりの方法を見つけた今はそう言えるのだが、そうでない時は「あれ?自分の英語への熱が足りない?」「英語、実は向いていないのか?」と自分を責めることばかり考えていた。
 
 そこで学んだのは、「学習者(希望者)は自分を責めがちである」ということ。そしてもう一つは「放っておいたら『自分にはこれは合わない、苦手だ』と逃げがち」だということ。私の場合は「英語は話せるし、ま、いっか。」と今の自分とこれからなりたい自分に目をつぶって終わりにしていたように思う。何をしても続かない自分と向き合うことから逃げてしまっていたのかも知れない。

 そんな私がある時突然飛び込んだ。それは他でもない以下の理由からだ。順番が大事なので順番に注意して見ていただきたい。


場所が通いやすい
雰囲気が良い
入会説明のスタッフの方が親しみやすい


②価格が手頃

③体験を受けたら先生がとても良かった

 もちろん①と②での好印象がないと、③にはたどり着いていないのだけれど、結局この③で即決した。そうだ。私が求めていたのは、自分に合った先生。この先生に習いたい、と強く思った。

良い先生とは

 残念ながら、良い先生の定義ってないと思う。あるとしたら、その答えは一人一人の中にある。それを多くの人が支持しているから自分にも同じ、とは限らないということをまず伝えておきたい。「良い先生」はその人のモチベーションや性格、自信、経験に沿うものであるから、『相性』という言葉で言い換えられる。

  こう断言できるのは、この度私が「学習者側」に立ったから。「指導者側」として経験してきた中で私は「ターゲットを絞る」ことを学んだ。
 
 私は以前人に頼まれるままに「大人の英会話」を指導していた時期がある。学習者の中に突然高度なことを学ぼうとして挫折したり基礎の部分を飛ばして会話をされる方がいても、私はあまりボリュームを変えなかった。もちろんただの会話相手として私をうまく活用してくださる方もおられた。でも伴走者としては未熟だったと思う。求められるままに指導することに一生懸命で、その人の今の位置とこれから進む方向があまり見えていなかった。
 それから長い間大人の方の指導は控えてきたが、数年前にあった小学校の公開授業後に地域の年配の男性が私に言われた言葉が私を再び大人英会話指導へと向かわせた。
『僕らも英語習ってるんだけどね。本当はこんな風に習いたいんだよね〜』
ハッとした。大人でも基礎から学びたい、安心したい、というニーズがある。大人だからもっと難しいことを学びたい、そんな人が多いのだろうと思い込んでいたが、もし英語のハードルを思い切り下げるレッスンのニーズがあったら、私の小学校での経験が活かされるかも。

 その方々の言葉を頼りに企画したレッスンは、市の生涯学習センター事業での審査に通り、ありがたいことに今年6年目を迎える。それから他の場所やオンラインでも大人の「基礎から英語」のニーズに合わせて、大人の方の英語への苦手意識を払拭する、というメンタル・マインドも指導の中に入れて「もっと英語してみようかな」と思える場所までの伴走者になることを選んだ。私はその中で絶対に生徒を否定しない言葉がけ、励ます言動、学習者の良い部分や前進した部分の伝え方など細かい部分に留意しながら、学習者が次に進むための踏み台として存在している。
 そして子ども英語に関しては、私は「子どもたちが英語を嫌いにならない」ことを目的に伴走している。「成果を求めない」スタイルは受け入れられないかも知れないが、生徒を集めるために自分の信念を曲げるのは嫌だ、と舵を切った。なかなか他の教育ビジネスに逆行した考え方ではあるが、遠方から私を尋ねてくださる方も出てきてそれはそれで満足している。

 これは指導者としての私。

 さて、では学習者の私が求める指導者はどうだろう。それは私自身のスタイルとは違う。なぜかと言うと、私は英語に対して一定の自信はある。例えば私が25年前の海外生活をする前、またこの仕事を始める前だったら今の自分のように優しく寄り添う先生を希望していただろう。ただ、今の私は多少ストイックに私の伸び代をもっと広げていきたい、という気持ちがある。
そんな中での先生との出会いだ。矢継ぎ早に繰り出される質問。私を待つわけでもない先生独自のテンポに私が乗っていく必要がある。でも何かテニスのラリーみたいなレッスン、終えた後に疲労感と一緒に爽快感が残る。先生のレッスンを見ながら「私だったら絶対にこのレッスンの仕方は取らないな」と思いながらも、リズミカルに新しい知識をポンポン投げてくださるその50分に酔いしれている。その内先生のリズムの隙間を見つけて割り込む様に質問を入れて、餅つきの様なリズムで会話が進んだ時は爽快だ。
 この先生はいろいろなクラスを担当しているが、私のクラスでのこのリズムを私はたまらなく気に入っている。レッスンだけでなく家でしっかり復習をしないと自分の物にならない程、毎週多くを学ぶ。
 
 でもこの先生が良い先生か、誰もが手放したくない人か、というとそれは違う。クラスのメンバーは私が始めた当初からかなり変わっていった。
私にとって「良い先生」は人にとっても同じではなく、また他の人にとって素晴らしい先生が私にとってそうであるかというと、それは違う。そんな経験を経験を多くしてきた。だから、私も「全員に好かれる」という不可能なことを求めて自分を歪めるのではなく、自分の信念を大切にして求める方々に誠心誠意向き合おう、と決めた。

 特に英会話など目的があるものに関して。
万人にとっての「良い先生」は存在しないと考える。

学び方の選び方

 私は一番に自分と相性の良い講師との出会いだと思っているが、学び方も対面やオンライン、グループやプライベート(個別)と様々なので、自分に合ったものを見つける必要がある。これもみんなが便利だと言うからオンライン、またCMが素敵で体験談ではみんな良いと言っているから通い始めた英語教室、そこで続かなかったからといって「英語自体を諦める」のは気が早い。こちらも講師選び同様、自分と合う物と出会う必要がある。
英語は言葉であるから日本語同様、英語圏の人にとっては「合わないから他の言語を使おう」と選べるものでもない。
 言葉は誰にでも平等に与えられた道具なのだ。方法や講師でその可能性を断ってしまうのはもったいない。

 私に関して言うと、私は空気を介する会話を好む。オンラインを何度かしてみたけれど、画面越しの空気では自分自身がリラックスして学べない部分があると気付いた。また、オンラインの手頃な価格帯の講師はネイティブではないことが多いので、私と同じ英語を第二言語としている海外の先生だと逆に会話の中で私が講師みたいになることもある。かといって、ネイティブの先生は予約が取りにくい、割高になる。そんな理由が重なって今の対面をとても好んでいる。対面だから自分が動かないといけない。動くと他の刺激も得ることができるので、週に一度街に出て英語を習うことは私にとっては好都合なのだ。
 
 この様に、その人の性格、経験、目的やライフスタイルによってこの「習い方」もしっかり選ぶ必要がある。

英語は全ての人に開かれたもの(本当はね)

 学校のテストで点数が悪かったから。単語を覚えるのが苦手だったから。
英語の成績が良かった人も、実際海外の人と話してみたら頭が真っ白になって何も思いつかなかった…
あれだけ英語を学ぶチャンスがあったのに、自分は何をしていたんだろう。という気持ちと共に学校や社会に向かって拳を振り上げたくもなるけれど。
英語はいつもニッコリ笑ってそこにいます。そしてあなたを待っています。
 生徒には、よく「日本にも『漢字が苦手だから、国語の点数悪いから日本語使って買物出来ない』っていう人いないでしょう」という話をする。それなりにみんな言葉を使って生活している。世界のどの国でも。だから、言語はそもそも苦手になるものではない。本人、または周りの人が「苦手だよ」と暗示をかけるのだ。

 「英語は道具」なんてよく言うけれど、想像するのは難しい。例えばこう考えてはどうだろう。包丁がそこにあって、周りの人がそれを使って上手に野菜を切ったりしているのならば、自ずと自分もそれを使ってみようとする。時には手を切ってしまったり、うまく切れなかったりするかも知れないけれど、包丁を使った方が絶対に切りやすい場面では必ず使おうとする。
 でももしそこで包丁の使い方を間違って教える人がいたら。あなたが使おうとする方法でない方法を教える人がいたら。全員間違って使っている場所では、あなたはずっと包丁を使えないか、または間違って使い続ける。
 大切なのは試行錯誤して、自分で必要性を見出して(作り出して)気がついたら使えるようになっているもの。「英語(言葉)は道具」というのはそういうことだと思う。

 英語はあなたにもう一つの豊かな人生をもたらしてくれる。それを知っているから、あなたが正しく、そして自分にとって必要(マインド含めて)だと思いながら学び続けられる場所、伴走者が見つかりますように。
 そう強く願っている。


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