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波に乗れる子を育てるには

 なんだか、子どもたちが毎日呪文を浴びせられている気がしてならない。

「もっとできるはず」
「お前ならこの学校に行ける」
「一体どうしたの」
「すぐ楽な方ばかりいっちゃうから」
「ちゃんと本も読まないと」

 言葉だけ見ると当然のアドバイスの様にも捉えられるし、激励の様にも見える。でも比べられ、過度にけなされ励まされする中で子どもたちの思考はストップして自分の価値はこの程度、って決めてしまう。うんざりするから。考えない方が楽だから。考える必要がないから。

 よく子どもが「俺バカだから」と言うのを聞く。なぜそう思うのか尋ねると、先生や親に言われたと言う。もちろん直接的に「バカだ」と言われているわけではないと思うが、そう本人が思わざるを得ない言葉を投げかけられているのだと思う。

 言霊っていうくらいで、言葉の持つ力は大きい。そしてその言葉をほとんど右から左にスルーする子やそう見える子もいれば、真っ直ぐ受け止めて更にその言葉の奥の他の意味まで汲み取る子もいる。実際は見た目だけで繊細さは測れないことが多い。
 「この子、何も聞いてませんから」と親がバッサリその子を傷つける様を何度も目にしてきた。

 親は可愛さで言うのかも知れないし、先生も我が子の様に思って言葉を投げるのかも知れないけれど、いずれにしても子どもとはいえ一個人だ。人として敬意を持って接さなければ、「バカだと言われ慣れる子」になるだろう。そしてネガティブな言葉に慣れてしまったら、明るい世界は描けない。当然のことだ。

 「子どもを想ってのこと」と言えばなんでも許されるという風潮はあるけれど、そこから生まれるネガティブな結果にも目を向けた方が良い。そして、本当に我が子や生徒を想うのであれば、ネガティブに慣れさせてはいけない。できる限り温かい言葉を選んで、花に水を遣る様に注いであげたらよい。ポジティブな言葉をたくさん知る人は、その言葉を使い自分を幸せにする。

 最終的に子ども自身を幸せにするのは親や先生ではなくその子自身。その子が自分に優しく、自分に敬意を持って生きていける様に考えてみれば、かける言葉も変わってくるだろう。

 その子の気持ちや能力、したいことを超えた叱咤激励は毒にしかならない。目の前の子をよく見て敬意を持って向き合えば、言葉や態度は自ずと変わってくる。子ども自身が自分を尊い存在として価値を見出すためには、子ども自身が自分の悪いところばかりでなく、良いところをたくさん知っておく必要がある。そして自分がうまく波に乗れる様にタイミングを「待つ」練習も必要なのだ。子どものタイミングを無視してどんどん課題を課すことは、決して良い策ではない。

 自動販売機みたいに、コインを入れたらすぐに結果を出せると本気で思っている大人が増えた様に思う。何をそんなに焦るのか。子どもに来る波のタイミングはそれぞれで、乗れるタイミングもそれぞれなのに。

 私たちができることは、子どもが波に乗るタイミングを一緒に待つこと。それまで心身安心して過ごせる様にサポートすること。先回りして無理やり大きな波に乗せようとして、溺れさせる様は見ていて辛い。

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